ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

叱るのがいい? ほめるのがいい? それとも…

子どもには、自立に向けて自分の健康や安全を守れるようになってほしいし、身のまわりのことを自分で処理できるような力を身につけてほしい、と親ならだれでも願うこと。

親の手を、そしてこれから出会う誰かの手を煩わせず、「人さまに迷惑をかけずに」過ごせるようになってほしい、と。

こぼさず食べることについては、運動中枢と空腹中枢のコントロールが協同して働いているらしいと先日記事にしたところ。

でも、小さいうちから少しずつ身につけてほしいことは、食習慣に限らずたくさんありますよね。着替えや入浴、歯磨き、あいさつ、排泄のコントロール、片づけ、…年齢に応じて習得してほしいこともどんどん増えていきます。

できたときにほめるのがいいのか、でもできるのを待っていたらいつまでもやらないからできていないときに叱って教えるほうがいいのか…?

「幼児期の脳と発達」では、やはりヒトの脳と絡めてとてもわかりやすく説明されていました。

サルの脳と比較すると、ヒトの脳では回旋回(= 縁上回)や角回と呼ばれる部分(赤いエリア)がとても大きく発達しているのだそう。

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(なんかテキトーな感じになってしまった…)

回旋回・角回という場所は、視覚・聴覚・体性感覚に関連する脳領域のすべて(青い部分)に近く、この場所へあらゆる感覚が集まることで情報を統合して全体としての意味を判断する仕事をしているようです。

回旋回・角回で判断した情報は、脳の深いところを前後に走る帯状回と呼ばれる場所に送られ、ここを通って前頭葉に伝えられます。
帯状回は、基本的欲求に基づいて本能的な行動を呼び起こしたり、その本能的な行動が自分にとって満足すべきものかどうかを判断したりする役割を果たしています。
そして前頭葉は、意志や運動の計画などに関連する部位。
つまり、入力された感覚情報を受けて子どもが行動を起こそうとするかどうかは、入ってきたさまざまな情報を「本能的に満足するもの」として帯状回前頭葉に伝えるかどうかにかかっているということになります。

いろんな脳部位の名称が出てきて話がややこしくなりましたが、いちばん大事なことは「子どもが見るもの・聞く声・その他の感覚で受け止める情報が子どもにとって本能的な満足を呼び起こすものかどうか」ということ。

本文中には「…基本的欲求をちゃんと満たしてくれる『人』を乳児は『親として選んだ』のです…(中略)…その親というものが、乳幼児の発達の様子を判断しながら、それ以前の乳児期に波及幼児自身にはできなかった生活行動の自立、つまり、躾の第一歩の手助けをしてくれるものだとすれば、幼児は喜んでその躾に従うでしょう。」と表現されています。

子育てをしながら子どもの安心・安全を守ったり生理的欲求を満たしたりする関わりを重ねて、子どもから「自分に満足をもたらしてくれる存在」として選ばれることが先決。
その関係性ができたら、叱られる・ほめられる以前に子どもは喜んで親のすることを真似たり覚えたりして必要なことを習得しようとする、ということのようです。

子どもにちゃんと選ばれるような親でありたいものですね…反省します。

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こぼれ話(1)
本文中には、親として選ばれるのは血のつながりの有無とは関係ない、乳児初期から(実の)親ではない人に自分の基本的欲求を満たしてもらった子どもはおばあちゃんでも養母でもちゃんと親として選ぶ、とありました。
いろいろな事情があって親元で育つことができなかった子どもたちと出会ったときにも「この子は 里親さん/施設職員さん のもとで大事に育ててもらって、ちゃんと信頼関係ができているなぁ…」と感じることはよくあるので、とても納得できました。

こぼれ話(2)
子どもは「自分が選んだ親」の行動を取り入れながら必要な行動を身につけていくものですが、排泄の自立が遅れる理由として「実施指導ができないから」と書かれていました。
たしかに、子どもの排泄にはつきあってあげられても、自分の排泄を子どもに見せて教えることはしないもんなぁ…とこれまた妙に納得してしまいました。

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…自分がトイレに行くとき,子どもには見せませんもんねぇ。