ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

PISA2018、子どもの読解力落ちてるってよ…

PISA2018の結果が公表されました

文部科学省のウェブサイトにPISA(Programme for International Student Assessment:国際的な生徒の学習到達度調査)の結果が公開されました。

3年に一度、OECD(Organisation for Economic Co-operation and Development:経済協力開発機構)加盟国を中心に15歳の子どもたちを対象に行われる世界規模の調査です。

学習に関する時事ネタ、気にせずにはいられません!
さて、調査の結果はいかに…?

読解力が低下している…

萩生田文部科学大臣のコメントによれば、

今回の調査結果によると、数学的リテラシー及び科学的リテラシーは、引き続き世界トップレベルですが、読解力については、OECD平均より高いグループに位置しているものの、前回2015年調査よりも平均得点及び順位が低下しています。

との総括。
http://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/2018/02_oecd.pdf

日本の子どもたちの読解力については、新井紀子先生のこちらの本でも心配されていましたが、まさにそれを裏付けるようなPISAの結果になったといえそうです。

国立教育政策研究所ウェブサイト」には「OECD 生徒の学習到達度調査2018年調査(PISA2018)のポイント」というPDFがアップされています。

http://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/2018/01_point.pdf

このサイトによれば、PISAで読解力として測定される能力は、

① 情報を探し出す
② 理解する
③ 評価し、熟考する

の3つのようです。

そして読解力を測定する3つの能力について、読解力が中心分野の過去回の調査結果を踏まえると、

  • 「②理解する」能力については、その平均得点が安定的に高い。
  • 「①情報を探し出す」能力については、2009年と比較して平均得点が低下。特に、習熟度レベル5以上の高得点層の割合がOECD平均と同程度まで少なくなっている。
  • 「③評価し、熟考する」能力については、2009年と比較して平均得点が低下。特に新規追加された「質と信ぴょう性を評価する」「矛盾を見つけて対処する」能力を問う問題の正答率が低かった。

つまり「ななめ読みのざっくりした理解はできているけれど、根拠となる文章や単語をピンポイントで探し出したり、読んだ内容に対する考えを自分の言葉で表現したりするのは苦手」ということなのかな、と理解しました。

たしかに、PISAで出題された問題は決して易しくはありませんでした。
こちらで「ラパヌイ島」という問題に挑戦できますので、ぜひ挑戦してみてください⤵︎ ︎

http://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/2018/04_example.pdf

この結果に対して何ができる?

国レベルでどのような対策を講じていくのかという大きな話は萩生田大臣のコメントに書かれていますが、自分が身のまわりの子どもたちに対して何ができるのかちょっと考えてみました。

みんなが読むことを「楽しい」と感じられるように

文章を読むこと自体が苦痛だと本を読まなくなるだろうし、そうすると新しい知識や語彙に触れる機会が失われてしまう。
耳からの入力が可能な部分はあっても、音声情報は流れて消えてしまうし、どうしても伝わりやすさ優先で平易な表現や口語調が使われがち。
読むために必要な眼球の動きや読んだことを蓄えて次の文章との繋がりが考えながら読めるだけのワーキングメモリや集中力の確保といった「学びの構え」を子どもたちが整えられるような支援は必要だろうと思いますし、求めている子どもたちにしっかり、支援を提供したいと思いました。

自分の考えを言葉にする機会を増やす

もはや読解力の範疇は超えていますが、子どもの考えを言葉で表現する機会を増やして習慣にしていくことは大切。家庭でもできなくはありませんが、これはどうしても学校教育に期待したくなる部分が大きいかもしれません。

萩生田大臣も今後取り組むべきこととして「主体的・対話的で深い学びの視点からの授業改善」を挙げていらっしゃいますが、一方的に先生から教わらないスタイルの授業だとしても、児童生徒同士の対話やディスカッションが深まらなければ子どもたちの表現の力は磨かれないわけで、子どもたちのアウトプットに対する指導者からの的確な助言・指導が重要になってくるはず。
それには、先生方の言語運用能力の高さや指導スキルも求められるわけですよね。

やっぱり学校教諭の先生方の給与を出し渋るのは先生方の質の担保という意味でも好ましくないのかもしれないなぁ…と数日前のTwitterを思い出しています。

それから、息子の学校生活を見ていて感じるのは、自分が小学生のときと比べて作文や文章を書く機会の極端な少なさ。
自分の小学校時代を思い返せば、高学年のときは全員が2冊の日記用ノートを用意して、毎日300字程度の日記を書いて提出すると翌日コメントつきで返却されるシステムだった(ので毎日2冊のノートを交互に提出する)し、小1から作文を綴じるフラットファイルは毎年4月に必ず用意されていてことあるごとに作文を書いていたし、日々「自分の考えを書く力」が鍛えられていたように思います。

まぁ、もし今これを実現するとしたら、やはり学校教諭の先生方のご負担は大きくなるし、先生方の力量はもちろん時間的余裕も必要になりますよね…。

学校で子どもたちの表現の機会が増えるのを待つ間にも、各家庭で親が子どもと身近なことでディスカッションし合うほうがもしかしたら手っ取り早いでしょうか。
子どもから何か欲しいものがあるとかやりたいことがあるとか親に声をかけてきたとき、どうしてそれがいいと思うのか、なぜそれが必要なのか、どんないいことがあるのか、親を説得するつもりで子どもが話せるよう、親の方も時間をかけて丁寧に子どもとやり取りができたら、それはもう自分の考えを言葉で表出する貴重な機会になるはず。

学校の先生方であれ、子育て中の親であれ、子どもと言葉をたくさん交わして関わる時間をたっぷり確保できるようになれば、子どもたちの言葉の力も向上しやすいということなのかもしれません。

3年に一度のPISAの結果を受けて、あれこれ考えてみました。
子どもの育ちに関わる大人のひとりひとりが、自分に何ができるか考えてできることを実行していくだけで、少しずつ世の中は変わるはず。
「どこかの15歳の話」で終わらせず、たくさんの方に自分事として考えていただけたら嬉しいなと思います。