ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

懐かしい先生の口癖を思い出してみる。

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なんとなくキリ番を超えたときには個人的な思い出話を綴る習慣になってしまったので、今日も私の中学時代の先生のことを書いてみようと思います。

M先生の口癖

中3のときの担任は、英語科のM先生。
きっとお若い頃はビシビシ厳しかったと思われる、でもサバサバして生徒思いな大ベテランの男性教諭でした。

休み時間や放課後にはいつも先生のデスク回りに生徒たち(大半が女子だったなぁ、そう言えば)が集まってはおしゃべりに花を咲かせていましたっけ。

そこは心身ともに弱ってはいない子どもたちのための保健室的な場所になっていました。
先生ご自身もそういう場を意識的に作ることで情報収集しながらみんなのことを気にかけておられたのかな、と今になって思います。

さて、そんなM先生はみんなのちょっとした愚痴や武勇伝や打ち明け話を聞きながらしょっちゅう合いの手を入れるのですが、その定番の台詞はコレでした。

「お前ら、ホンマに許せんのう!」

「許せん」のは誰なのか?

とにかくこの「許せん」「許せん」が連発されるにもかかわらず、不思議なことにそれを聞く私たちは「先生を怒らせてしまった」「先生にまずいことを知られてしまった」といった危機感を抱くこともなく、好き放題喋り続けるのが常でした。

ある日のこと、ひとりの子が先生にこんなことを言いました。

「M先生、先生って何でもすぐ怒るよね。いっつも『許せん』って言ってるじゃん」

M先生の返事はこうでした。

「ワシは何がいいとも悪いとも言うとらんよ。ただワシが『許せん』って思ってそう言うとるだけよ。ワシがどう思おうと、そりゃワシの自由じゃろ?」

このときは、また先生屁理屈言ってるなぁ…と思っていたのですが、大人になってからふと、M先生の「許せんのう」はI(アイ)メッセージだったということに気づいたのです。

子どもたちの言動に対する善悪の判断ではなく、先生の主観として「私には許せない」と表明しておられただけ。仮にルールを逸脱したような話が出ても実際に誰かを罰するようなことなんて(おそらく)一度もなかったと思います。

だから安心して言いたい放題に話せる場が成立していたし、結果として先生にも私たち生徒の本音をたくさん聞いていただけていたんだな、と。

今はもうこの世にいらっしゃらないM先生。
もう一度お目に掛かれるものなら、改めてお礼を言いたいな…と先生のいたずらっぽい笑顔を思い出しています。