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こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例2-5)

ひとり読書会、症例紹介を続けていきます。
110ケースの介入の中身を読めるの本当に楽しみ。

読んでいるのは、こちらの本です。

確証のための情報(3)症例紹介(症例2-5)

・(2) R.A.:1964年11月生まれ、R.A.の初診は1968年4月であった。彼女の母親は、R.A.が3年間病気で、この3ヶ月間でひどく悪化したと報告した。彼女は非常に落ち着きがなく、家から離れてさまよい続け、頻繁にかんしゃくを起こしていた。彼女は病気であることと薬に執着していた。彼女は偽りの世界に住んでいた。彼女は他の子どもたちと遊ぶことができず、日中におねしょをするようになっていた。私は彼女に1日ナイアシンアミド1gとビタミンC1 gと砂糖を使わない食事療法を始めた。3週間後、彼女ははるかに良くなり、3ヶ月後には、いくらか残った過敏性を除いて、ほぼよくなっていた。
1968年7月22日、アスコルビン酸はそのままでナイアシンアミドプラセボに置き換えた。3週間後、彼女の行動は非常に悪化して、ほとんど自分でコントロールできなくなっていた。ナイアシンアミドが再開された。今回は彼女は以前よりゆっくり反応を示し、10月2日から投与量を2倍にした。1969年2月までには彼女は正常であった。1973年7月にジョンが調査したとき、彼女はまだ元気にしていた。彼女は数学が難しいことに気づいていたが、他のすべての科目でクラスをリードしていた。彼女は特に読書と芸術を楽しんでいた。彼女の多動性スコアは1968年4月の81→1973年7月4日は29に減少していた。最終的な評価は1111(合計4) - 正常であった。

・(3) B.A.:1967年6月生まれ、B.A.に初めて会ったのは1971年5月。行儀よく、おとなしい子だったが、恥ずかしがりやで話しかけてくることができなかった。発達が早く、生後9ヶ月で歩き始めて以降、多動的な行動をとるようになった。彼は慢性的にそわそわしていて、食事中もじっとしていることができなかった。両親は彼にナイアシンアミド25mgを含むマルチビタミン剤を飲ませた。一週間後、彼は少し良くなったが、その後それ以上の改善は見られなかった。私は彼にナイアシンアミド1gを1日3回投与し始めたが、その後、1gを1日2回に減らした。1ヶ月後には良くなっていた。おねしょはそれ以前は毎晩だったが、この1ヶ月で2回だけになった。1971年9月、彼は正常だったが、その後わずかに再発した。ナイアシン1日1g とナイアシンアミドを投与され、12月にはナイアシンの方が気に入っていたので、1gを1日3回投与され、他のB3は中止された。1973年7月3日、彼は正常であった。彼は幼稚園を終えていた。彼はまだクローゼットの中の怪物を恐れる悪夢をときどき見ていた。ナイアシンは1日4gに増量された。彼の多動性スコアは1971年5月21日の95→1971年7月3日の45に減少した。最終的な評価は0111(合計スコア3)、かなり改善であった。

・(4) T.A.:1960年1月生まれ(養子)、T.A.は1971年5月に初登場。2歳の時に1回てんかん大発作を起こした。彼は4歳の時に養子に出され、早くから言葉を話し始め、I・2年生では優秀だったが、その後悪化した。敵対的でアンビバレントになり、ポジティブな制裁にもネガティブな制裁にも反応しなくなった。字は読めるが、読みやすい字が書けず、とても落ち着きがなかった。乳製品、豚肉、エンドウ豆、人参、牧草にアレルギーがあることが判明。児童精神科での1年間の治療では改善がみられなかった。6歳の時、激しい肺炎にかかったとき、骸骨が見え、自分の名前を呼ばれるのを聞いて反応していた。私が会ったとき、彼には考想化声があった(古典的な統合失調症の症状)。それは戦争を語る声のように聞こえ、ピンを投げろと命令したようにも聞こえ、ときどきそれをやっていた。彼は非現実感を感じ、戦争や人を殺すことを昼間からたくさん妄想していた。人が自分のことを意地悪に話していると確信し、思考の流れが途切れてしまい、記憶力が悪くなっていた。ナイアシンアミド1gを1日3回、アスコルビン酸1gも1日3回、糖質オフの食事を始めた。1ヶ月後には良くなったが、ナイアシンアミドを1日3回各2gに増量した。5ヶ月後には、彼ははるかに良くなり、より協力的で、より積極的で、より感じがよく、より学校を楽しんでいました。1973年6月までにはほぼ回復していたが、同級生との関係に苦労していた。1973年8月24日、彼はまだ家庭に問題があり、ビタミン剤の服用に抵抗し、家族とよく口論になった。アレルギーは悪化したが、最後の学校のレポートは今までで一番良かった。私は彼のナイアシンアミド1gを1日2回に減らした。6月には、ニコチン酸1g、アスコルビン酸1g、チアミン150mg、ピリドキシン200mgを含む調剤を1日3回ティースプーン1杯で開始した。多動性スコアは1971年5月の85→1973年8月には51に減少した。彼の最終評価は、1.5、0.5、0.5、0(合計2.5)、改善と評価された。

・(5) Bar.A.:1962年12月生まれ。とてもイライラしていて、学校では他の子と仲良くできなかった。彼女の学校での成績はBばかりからCやDに落ちていた。最初の2学年では読みに問題があった。彼女の両親は彼女にナイアシンアミド500 mgを1日3回を開始したが、2ヶ月後に改善が見られなかった。彼女は寝間着が動物に変わるのを見て、クローゼットの中に動物がいると感じることが多いので、いつもドアを閉めていたと言った。彼女は自分の部屋で男性よりも大きな幽霊を見たが、それが本物ではないことは知っていた。ページの上で言葉がごちゃごちゃして、悪夢にうなされ、考想化声もあった。彼女の思考は被害妄想で、人々が自分のことを話して自分を笑っていると信じていた。途絶があり、彼女の記憶力や集中力と同様に理解力も低かった。驚くことではないが、彼女はとても疲れ、落ち込み、イライラしていた。ナイアシンアミド500mgを1日3回、ピリドキシン250mgを1日2回、ペリアクチン4mgを1日3回、リタリン20mgを1日1回、糖質制限食を始めました。9月5日にナイアシンアミドを1g1日2回に増やした。その頃にはほとんどの知覚症状は消えていた。1972年10月13日には元気になっていた。1973年4月13日、少し悪化していたので、ナイアシン500mg1日3回を加えた。1973年8月、彼女がナイアシンで嘔気を感じていたので、彼女にイノシトールナイアシン1g1日3回を開始した。1973年11月7日、彼女は着実に進歩していた。1974年2月8日までには正常になった。彼女の多動性スコアは、1972年6月の97→1973年6月には47に減少した。彼女の改善度は1111(4)-正常と評価された。

ひとりごと

今日は症例4つ読んでみました。
てんかん大発作があっても、幻覚や妄想があっても、ビタミン治療が子どもたちにしっかり効果を表しているのがよくわかります。
ただし量の調節はかなり細やかに行われているよう…B3類の使い分けもなかなか微妙ですね。
この調子で希望を持ちながら読み続けていきたいと思います。