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こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例14-17)

ひとり読書会、症例紹介が続きます。

今日も安定の4ケース。まだまだ終わりが見えませんね…。

慌てず焦らず、110ケースの詳細をじっくり読んでいきます。


読んでいるのは、こちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例14-17)


・(14) A.C.:1965年3月生まれ、A.C.の初診は1973年4月。A.C.は一卵性双生児の相方と比べて、字が読めず、多動性であることから私に会いに来た。読むのが遅く、言葉の意味を理解するのに苦労していた。単語はページ上を行ったり来たりし、点は同時に動き回るので4つの点が5つのように見えた。彼の夢の中で、自分が周りの人々を蹴っているのを見た。自分の名前を呼ばれると、それが頭の中で反響した。彼はナイアシンアミド1gを1日3回、ピリドキシン250mgを1日1回、シュガーフリー食を始めた。2ヶ月後には改善し、1973年8月22日にはよい状態となった。ジョン・ホッファーは、彼をほぼ快方に向かっていると気づいた。1973年10月23日、彼はとびひを患い、落ち着きがなくなり、再び学校に行けなくなった。しかし、1973年11月13日までには再びかなり改善された。彼の多動性スコアは1973年4月12日の85→1973年10月23日には55に減少。彼の改善スコアは0111 (3) - かなり改善であった。


・(15) T.C.:1965年生まれ、T.C.の初診は1973年4月。A.C.(ケース14)の双子の弟のT.C.も学習障害があり、言葉がわからず、算数が苦手だった。去年の夏に補習的な読書指導を受けたが、ほとんど改善されなかった。時には自分の世界に入り込んでしまうこともあった。家での彼の行動は悪かった。朝になるとよく怒鳴り声が聞こえ、それは「脳が自分を呼んでいる」のだと彼は語った。前日寝る前にも同じ音声が聞こえていた。彼は双子と同じプログラムを受け始めた。1973年6月12日には改善し、簡単に読めるようになり、本を置くことができないほど刺激的なことがわかった。1973年8月22日、ジョン・ホーファーは、彼にはいくつかの幻覚があることに気づいた。彼の先生は、彼の改善に驚いた。彼の最終的な評価は0111 (3) - かなり改善、であった。彼の多動性スコアは1973年4月12日の79→1973年10月23日の41に変化した。

この双子の父親は、声が聞こえたり非現実感を感じたりしており、途絶がみられ、妄想的な考えもあり、記憶力や集中力も低下しており、23年間うつ病だった。彼も治療を開始した。最終受診時には知覚の異常はなかったが、まだ落ち込みはみられた。


・ (16) B.C.:1961年5月生まれ、B.C.の初診は1970年9月。B.C.は3歳までに多動を示し、不注意で、罰を受けても反応がなく、反抗的で面倒くさがりだった。9歳までにはさらに悪化した。学校では年齢相応の平均的な生徒だったが、空をじっと見つめる傾向があった。彼は、夜中に人が部屋の中で自分を見ていると確信しており、誰かの存在を感じる遠い部屋の隅を非常に恐れていた。彼はしばしば正夢となる予知夢を見ていた。夕食後にナイアシンアミド1g1日3回と夕食後(? after supper)にニューレプチル5mgが投与開始となった。9月から1971年1月の間に彼の食欲は改善され、恐怖心も過敏性も軽減した。彼は5ポンド太った。1972年8月、腹痛を発症した。12月にビタミン剤を減らし、ピリドキシン250mg 1日1回を追加した。4ヶ月間休薬した。代わりに彼はナイアシン1gを1日3回摂取した。1972年8月29日、彼はまだ2週間ごとに腹痛に苦しんでいた。彼は今、寝る前にイミプラミン25mgと必要に応じてペリアクチン4mg 1日1回が必要だった。その後、秋に黄疸が出て痒みがあり、粘土色の便と濃い尿が出た。ビタミンB3を中止すると黄疸は治まり、ナイアシンを再開すると黄疸が再発した。母親には、ピリドキシン250mg 1日1回を続けている間に悪化した場合はイノシトールナイアシンを投与するようにと助言した。その後も調子はよかった。多動性スコアは1970年9月の69→1973年7月の47に低下.改善評価は1111(4)-正常、であった。


ナイアシンまたはナイアシンアミドで黄疸が出たのは2例だけで,イノシトールエステルでは黄疸が出たことはなかった。両方の形態で黄疸が出た子がひとりいたがは、イノシトールナイアシンでよくなった。両者ともビタミンの投与を中止すると完全に回復した。おそらく、血中へのビタミンの放出が早すぎたために、肝臓の酵素が過剰に働いてしまったのだろう。イノシトールエステルのように、非常にゆっくりとビタミンを放出する製品ではおそらくこのような副作用は生じないだろう。


・(17) C.C.:1964年6月生まれ、C.C.の初診は1972年12月。C.C.は生後16ヶ月までに歩行を始め、3歳で話すようになり、その後すぐに少し過活動になった。C.C.は明瞭に話すことができず、言語療法を受けていた。私が彼に会ったときはまだ言語障害がみられ、文字を読めなかった。言葉がおかしいように感じた。私はナイアシンアミド1g 1日3回、アスコルビン酸1gを1日2回、ピリドキシン250mg 1日1回を投与し始めた。1ヶ月後、彼はよりリラックスしていたが、朝はまだ不機嫌だった。幻視はなくなり、眠りも浅くなり、好奇心が強くなり、記憶力も向上した。3ヶ月後、彼の様子に変化はなかった。私は彼の母親に、試しにビタミン剤をやめるように頼んだ。ジョン・ホッファーは、彼が10日間ビタミン剤をやめた後、1973年7月10日に彼に会った。彼は順調で、評価は1111(4)だった。母親は彼をほぼ正常と感じており、学校では顕著な改善を示していた。彼の多動性スコアは、1972年12月9日に57→1973年7月10日には55でほぼ同じままであった。


ひとりごと


今日も症例4つ読んでみました。

またしても子どもに続いて父親がビタミンを試すケースがありましたね。子どもに限らず、大人でもある程度改善がみられるという予想どおりの結果。

まだ5分の1も終わっていませんが、もう誰でも一度試してみたらいいんじゃない? って言いたい気持ちがだんだん高まってきます(笑)。