ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

ADHDの「症状診断の危うさ」に頷くしかない

どうしても読み飛ばせない

本は1冊まるごと最初から最後まで丁寧に読むのではなく、必要なエッセンスを吸収できたらそれでOK。…

そんなふうに教えていただいたのに、どうしてもこの本は最初から丁寧に読まざるを得ません。

第一章、第二&第三章と読んできましたが、今日は第四章。
「症状診断の危うさ」…見出しだけで頷かずにいられませんでした。

第四章「症状判断の危うさ」

ADHDの診断は不注意症状だけではあてにならない。かつてワーキングメモリー障害と言われたがその説も否定された(ワーキングメモリ障害は LD の合併によるもの)。合併に関係なく ADHD に共通して認められたのは処理速度の低下であった。

たしかにADHDはワーキングメモリ障害というイメージを私自身今もぼんやり持っていました。それよりも処理速度低下のほうが重要ということ、覚えておきたいと思います。

ところがADHDが疑われる成人の場合ADHDスコアが高くなるほど処理速度も高いという正の相関が認められた。処理速度が高く頭の回転が速く手もよく動く人はADHDに似た状態を呈するということ。スクリーニング検査だけで診断する場合は特に過剰診断が起きやすい。優れた特性が障害として扱われていいはずがない。

これも、言われてみたらなんとなく納得できます。ときどきミスタイプしながら高速タッチタイピングをしている「デキるビジネスパーソン」みたいなイメージが浮かんできます(笑)。

コホート研究の結果は、大人のADHDの9割はADHDではなく不安障害や気分障害など他の原因によるものだと示している。だが実情は、不注意なミスや片付けられないという症状があれば、合併症の有無に関係なく抗ADHD薬が処方されることが多い。

大人のADHDの9割はADHDではない、というのは衝撃ですね…。
大人のADHDは「片付けられない女たち」のイメージが強烈すぎて、片付けられない=ADHDという構図ができあがってしまっている気がします。

中枢神経刺激薬はADHDであってもなくても一時的に集中力を高める効果を持つ。薬が効いたからADHDということではなく健常人が服用しても集中力が一時的に高まる。しかし長期的には不安やうつを悪化させる危険もある。

「薬が効いたからADHDということではない」は痛いところを突かれた感じです…。だから乱用が起こるんですもんね。そして、長期的には心の調子を崩すリスクがある、と。

子どもの場合は行動上の問題をADHDという診断で片付けられがちだが、行動上の問題が強いケースほど環境要因が絡んでくる。潔癖すぎる親や教師が大して問題のない子を反抗的にしてしまい医学的診断に助けを求めてくるという場合も少なくない。

こういうケースには本当にたくさんお会いするので、とても頷けます。親御さんとの相性、担任との相性、侮れないですよね。そして子ども個人の問題とされて服薬させられる流れを安易に作らないよう本当に気をつけたいと思いました。

その他、ASDや青年期のインターネットゲーム依存、成人ではアルコールや薬物の依存症、トラウマを抱えたケースに合併しやすい解離性障害ADHDと紛らわしい。不利な養育環境によって脳の機能や構造にも変化が生じることもわかってきた。不注意・多動症状とも関連があるという報告もある。こうした事実は疑似ADHDと本来のADHDが非常に見分け難いものであり、また疑似ADHDの方がより深刻な問題を抱えやすいことを示している。

これも鋭い指摘! いったい「本来のADHD」って何なんだ?とどんどん迷路にはまりこんでいきそうです。
不利な養育環境で育ったお子さんの症状が本当にADHD的に見えるのはよく経験しますし、施設に属している間はメチルフェニデートはそれなりに有効なことも多い気がしますが、社会に戻ってからはやっぱり環境からの影響を強く受けてしまうことが多いように感じます。本来のADHDより難しい状況、たしかにそうですよね…。

結局、やっぱりADHDが何なのかつかめない

この本を読みながら、ADHDへの理解が深まっているのは間違いないのですが、深まれば深まるほど「自分がよくわかっていなかった、ということがわかる」状態で、わからないことが広がっていく感じです。
本来のADHDだろうが疑似ADHDだろうが、困っているなら何か力になりたいし、その手段はたぶん薬物療法一辺倒ではない、ということはおぼろげながら見えてきています。