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子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例26-29)

ひとり読書会、今日も症例紹介。

本当にたくさんのケースを紹介してくれているこの本はありがたいです!


読んでいるのは、相変わらずこちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例26-29)


・(26) W.E:1857年5月生まれ、W.F.の初診は1967年10月。治療のため来院したW.F.と2人の弟B.F.とT.F.は、4人兄弟のうちの3人だ。彼らの父親は1954年に統合失調症の治療を受け、われわれの初期の二重盲検対照試験に参加していた。父親はプラセボ群に割り付けられており、効果はなかった。後にナイアシンを投与されて回復した。その後、ある医師がナイアシンの服用をやめるよう指示するまで順調だった。しばらくして再発した。この再発の間に、彼の妻も統合失調症になった。地域社会の問題は非常に大きく、彼らはサスカトゥーンへ追放され、1960年に生活保護を受けてやってきた。私は二人を診察し、二人ともメガビタミン療法で回復した。それ以来、彼らは順調である。母親は責任感ある高学歴の専門職に就き、父親は堅実に働いている。子どもたちのうち3人は病気だったが、今では正常だ。4人目の子どもは治療不要だった。W.F.が9歳のとき、彼女はとても神経質で過敏で難しかったので、ナイアシンアミド500 mg1日3回を開始した。数週間以内に彼女ははるかに改善し、学校の成績は低いCから中間B平均に上がった。私が彼女に会う2ヶ月前、彼女は再び不調となった。頭痛を訴え、より過敏になっていた。1967年11月13日にはビタミン量を1gを1日3回と2倍に増やした。年末には元気で明るくなり、より自信を持っていた。1968年1月11日、プラセボ投与を開始したらすぐに悪化し始めた。ビタミンに戻すと回復し、1968年7月までに復調した。1972年の夏の間にビタミンを中止した。1973年7月11日、ジョンは彼女は改善したと判断した。彼女の最終的な評価は1111(4)だった。


・(27) C.F.:1961年10月生まれ。両親とも初期の統合失調症であった。C.F.は生まれた時から変わっていた。しつけに反応せず、非常に敏感で、傷つきやすい性格だった。精神科医院で読書障害と診断された。1969年の夏、母親は彼にナイアシンアミドを1ヶ月間投与した。彼は改善したが、ビタミン剤を止めた後に再燃した。私のところに来る3週間前にビタミン剤を再開したところ、彼は改善し始めていた。まだ非常に自意識過剰で、読むときに言葉が逆になったり、学んだことをすぐに忘れたりした。彼は何かに愛情を注いだり、抱きしめたりすることはなかった。私は彼のナイアシンアミドを1g 1日2回に増やし、アスコルビン酸を1g 1日2回にした。1970年4月6日、彼は回復し、言葉を見るのが楽になり、声も聞こえることもなくなったが、登校を嫌がるようになった。1970年7月6日、小学3年生になった。彼は調子がよいと感じていたが、他の子どもたちとの関わり方には問題があった。1973年7月10日、ジョン・ホッファーは彼が改善していると評価した。慎重に処方を守ってはいなかったが、気分が下がったと感じたらすぐにビタミンを再開するだろう。彼の評価は1101(3) - かなり改善、であった。


・(28) V.F.:1964年7月生まれのV.F.の初診は1968年6月。3歳までに彼はかんしゃくを持っていたが、生まれた時から気難しく、成長が非常に遅く、4歳までに明瞭に話すことはできなかった。理解はしているように見えた。自分自身や想像上の遊び相手に向かって話すときは上手だった。18ヶ月で歩けるようになったが、4歳までには走ることができなかった。統合失調症から回復した父親は「息子は悪夢をたくさん見て、自分の世界に住んでいる」と言った。私はナイアシンアミド1g 1日1回とアスコルビン酸1g 1日1回を投与した。1ヶ月後、彼は気性の暴発が減り、より陽気で、前より多くの探求を始め、よく眠るようになった。1968年10月22日までには、彼ははるかに改善していた。1969年1月、父親が彼のために新しいミックスビタミンを作ったが、彼は好きじゃないといって拒否した。すぐに悪化した。ビタミン剤に戻って、彼は再び改善し始めた。1969年11月27日、私はナイアシン4gを1日1回 とメレリル30mg 1日1回を投与し始めた。両親は別居していたが、V.F.はかなり改善しており、母親のよればこれまでで最高の状態とのことだった。1971年の夏まではほぼ順調だったが、夏の間すべての薬をやめてしまった。ビタミンは再開され、12月には回復した。両親は1972年6月に離婚した。彼は1973年7月17日にジョン・ホッファーが0110(2)、改善と評価した 。彼の多動性活動のスコアは、1971年(3歳)89→7歳で27に減少した。しかし、彼の再発の間にスコアは上昇し、1972年9月には75だった。彼の最終的なスコアは、1973年7月17日の31だった。


・(29)M.D.B.:1962年7月生まれ、M.D.B.の初診は1971年8月。発達が遅く、3歳までに話すようになったが、言葉は非常にごちゃごちゃして不明瞭で、読むことはできなかった。3歳からは後進的で未熟なままで、学習が非常に遅く、幼い子どもたちとしか遊ばなかった。彼は多くの補習読書を受けていた。人が自分を見ているように感じたり、本のページ上で文字が上下に動いたり一瞬消えたり、懐中電灯を持った暗い男の幻影を見たりするなど、視覚的な幻覚を持っていた。時々、自分の名前を呼ばれる声や自分の後ろを歩く足音を聞いた。彼の友人はみんな彼を嫌っており、途絶があって、集中できなかった。私はナイアシンアミド1g 1日3回、アスコルビン酸1gを1日2回、ピリドキシン250 mg 1日2回とシュガーフリーの食事療法を始めた。9月にはナイアシンアミドの投与量を500mg 1日3回に減らした。1971年10月までに彼はわずかに改善しただけだったので、ナイアシンアミドを2倍にし、同量のナイアシンを加えた。彼はナイアシン不耐性であった。学校では改善したが、家では何の変化も見られなかった。ジョン・ホッファーは、彼が1年半ビタミン剤を止めた後の1973年8月2日に彼と会った。変わらず幻覚があり、まだ非常に偏執的であり、悲しんでいた。彼は仲間と一緒にいられるように6年生に上がったが、この学年でやっていく能力はなかった。彼の最終的な評価は0100 (1) 、改善なしであった。彼の多動性のスコアは1971年8月31日の71→1973年8月2日の59に減少した。


ひとりごと


今日も症例4つ読んでみました。

両親が統合失調症できょうだい4人中3人に発達の心配があるなど、なかなか重いケースもありました。とても改善するケースもあれば、改善なしのケースもある…その違いは何だろう? 使われているビタミン以外の共通項は何だろう? 一度この症例集のケースを表形式にまとめて眺めてみたいと思い始めました。