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子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例30・31)

昨日読みそびれた、ひとり読書会の症例紹介。

とにかく立ち止まりたくないので、今日2ケースだけ読んでおきます。


読んでいるのは、こちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例30・31)


・(30) P.C. 1962年6月生まれ。いつも泣いてばかりいたため、幼稚園を退園させられた。彼女は自分が何でも間違ったことをしてしまうのではと恐れて、学校で学ぶことができなかった。悪夢にうなされ、家の周りを歩く人の声が聞こえ、とても怖かった。母親は彼女が統合失調症になったのではと心配しており、受診の4週間前にナイアシンアミドアスコルビン酸各1g 1日2回を服用させていた。彼女の母親には1人の妹と2人の兄弟がおり、全員統合失調症だった。この2つのビタミン剤を2週間服用した後、彼女はずっと明るくなり、それらを幸福の薬と呼んだ。受診時には、彼女はあまり良い状態ではなかった。黒服で顔の歪んだ幽霊の幻覚や、幻の国がたくさん見えていた。彼女は私のオフィスでも幽霊を見た。また、彼女に話しかけてくる声も聞こえた。彼女は幻覚をとても恐れ、落ち込んでいた。1968年4月28日-9月4日、彼女はビタミン剤を1gずつ服用していたが、ほとんど改善は見られなかった。小学1年生になると、彼女は一日中泣き、勉強ができず、朝食をとるのを拒否した。その後、私はビタミンB3もCも2倍にした。1969年3月19日までには彼女はずっと改善し、清潔に気を使うようになり、幻覚も消え、他の子たちとうまく遊び、読書も上達した。彼女の先生は、彼女が1年生をクリアするとは思っていなかった。1969年7月15日には、母親は彼女を正常だと思うようになったが、1970年3月19日には状態が悪化した。クリスマスの間、より多くの砂糖を食べたのだった。学校での成績は悪くなり、胃痛を訴え、悪夢が戻り、ページ上で単語が動くようになった。彼女は推奨された量のビタミンを摂っていなかった。私は彼女のナイアシンアミドを1g 1日3回に増加させた。1970年7月3日までには、お菓子を食べなければ普通な状態になった。1970年10月1日、彼女が7月・8月と栄養療法を休んだら、再発していた。再開したところ7日で元気になった。1973年8月24日、ジョン・ホッファーは彼女が正常であると判断した。6年生になり、学校でうまくいっていた。彼女は1111(4) - 正常と評価された。ジョンの診察時の多動性活動スコアは33であった。


・(31) G.C.:1957年2月生まれのG.C.の初診は1968年5月。彼は生後7ヶ月で養子に出され、育てるのが難しい赤ちゃんだった。いつもとても緊張して、爆発寸前だった。学校では遅れており、読むことができず、数学もできなかった。彼は問題があることを認めなかった。彼は自分の名が呼ばれるのが聞こえる知覚錯覚を持ち、被害妄想があり、思考途絶に苦しんでいた。KPは排泄しなかった。ナイアシンアミドアスコルビン酸各500mgを1日3回、ピリドキシン300mgも1日3回投与した。5ヶ月後の1968年10月25日、彼は元気になり、声も聞こえず、学校での成績もよくなった。夏の間に悪化したが、これは親が子どもの食習慣をコントロールできないことが多いため珍しいことではない。ナイアシンアミドを1g 1日3回、アスコルビン酸 1g、ピリドキシン1g 、メレリル20 mg 各1日1回を追加し、食事からグルテンを排除した。1ヶ月後、彼は再び改善した。1ヶ月後、彼は再び良くなった。1969年1月14日、それ以上の改善はみられなかったのでメレリルを25mgに増量した。1969年4月11日、それ以上の変化はみられず、精神安定剤を中止してリタリン10 mgを追加した。1969年10月31日までには、彼は再び回復し、学校ではより多くの進歩を遂げた。毎年夏になると、食生活が乱れたり、甘いものを食べたりして悪化していることが明らかになった。私はナイアシンアミドを2g 1日3回に増やした。1970年5月28日、彼は少し改善した。私はナイアシンアミドを4g 1日1回に減らし、再びメレリルを100mg投与した。8月にはまた再発し、夜尿がみられた。9月中旬に6回ECT(電気痙攣療法)を実施し、その後よくなった。1972年10月11日に、彼ははるかによくなり、成績Cの学生だった。1973年7月5日、ナイアシンアミドを1g飲んでいた。それ以上飲むと吐気があらわれた。まだ多動だったが、彼の気分はよく、学校のレポートは非常によくなり、数人の友人を作っていた。彼は0110 (2) - 改善、と評価された。彼の多動性スコアは、1973年7月5日に51で、7歳時の93から減少していた。


ひとりごと


定例日にアップできなかったので、とりあえず半分の2例を読みました。

ナイアシンアミドを一度に4g飲んだケースは初めてだったかも(31)。ECTも必要なハードケースだったのでしょうね。精神病様症状がありながらKPの尿中排泄がなかったことも関係あるのかもしれません。

(30)・(31)とも、夏やクリスマスなどの長期のお休みに食生活が乱れるという点が興味深かったです。ビタミンだけでなく食事も大事なんですね!