ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例32・33)

ひとり読書会をしそびれた今週のキャッチアップ分、第2回。

今日も2ケースで、ようやく借金返済です。


読んでいるのはこちらの本。


確証のための情報(3)症例紹介(症例32・33)


・(32) L.F.:1961年10月生まれ、1971年7月に初診。彼は18ヶ月でしゃべり始め、19ヶ月までには歩けるようになった。3歳では言葉がわからなかったが、私が会ったときには普通に話していた。彼はその前の2年間、学習障害だった。時々文字が反転したり、行がぐらついたり、理解するのが難しいと言っていた。補習的な読み聞かせは少しは役に立っていた。夜にしばしば大きな黒い幽霊のようなものを見て、それはドアいっぱいに広がり、朝まで残っていた。彼は幽霊がいないことを知っていたので、幽霊の出現を恐れることはなかった。時々、彼は自分の手が大きくなったり小さくなったりしていると感じた。彼は被害妄想的で、ふさぎ込み、集中が難しく、知能テストは低かった。気分は落ち込み、悲しく、神経質だった。私はナイアシンアミド1g 1日3回とアスコルビン酸1g 1日2回を始めました。一ヶ月後、勉強するのは楽になったがまだ落ち着きがなく、時折幽霊を見ることもあった。両親は、彼がはるかに良くなったと気づいた。1972年2月まで改善は維持された。知覚の変化から解放され、自信が上昇した。1973年8月8日、ジョン・ホッファーが彼に会った。母親は、最初の年はビタミン剤で非常にうまくやっていたが2年目に悪化したと報告した。彼はまだ集中するのが難しく、少し疑心暗鬼で、読書も遅いようだった。彼の評価は1, 0.5, 0, 0.5 (2) - 改善であった。1973年9月10日、私はピリドキシン250mgと徐放性ナイアシンを加えたが、彼はナイアシンを服用することができなかった。11月29日、まだ字が読めず、少し落ち込んでいた。1974年2月28日、彼はナイアシンアミド1g 1日3回、アスコルビン酸1g 1日3回、ピリドキシン250mg 1日1回を服用しており、1111 (4)、正常であった。彼の多動性スコアは1971年7月26日に43→1971年9月17日に35→1973年8月8日に61→1973年11月29日は49であった。


・(33) Br.C.:1959年12月生まれ。4年間、彼はほぼ毎日頭から顔全体に持続する痛みを感じていた。午前中には稀に痛みがなくなることもあった。どんな興奮もそれを悪化させた。生後14ヶ月までにはしゃべるようになったが、言語療法が必要だった。私が彼に会った時、彼はよく話していた。学校の成績はよかったが、傷つきやすく、自信がなかった。彼は視覚と聴覚の錯覚を訴え、非現実感を感じていた。学校では生徒が自分のことを話していて、彼をスパイしていると確信していた。彼は途絶があり、記憶力と集中力が低下していた。怒っているときは、相手を殺すことを考えていた。彼は悲しんでおり、痛みがひどい時は自殺を考えた。私はナイアシンアミド1g 1日3回、アスコルビン酸1g 1日3回、ピリドキシン250mg 1日1回を投与し始めた。彼は1971年の終わりまでこのプログラムを続け、頭痛は消失した。1973年4月、彼は2週間ごとに頭痛を経験した。1973年8月21日、ジョン・ホッファーが彼を診た。彼の母親は、彼メガビタミンプログラムを始める前の4年間は何も有効ではなかったので、元気になったのはメガビタミンプログラムのおかげだと確信していた。彼は1111 (4) - 正常と評価された。彼の多動性スコアは1971年8月27日の55→1973年8月21日の35に減少した。


ひとりごと


今日で今週分を取り返すことができました!

今回の2例はどちらもピリドキシン(B6)が使われていました。この症例集ではピリドキシンの出番は比較的少ない気がするのですが、使う判断はどのあたりで下せばよいのだろう、と過去記事をさかのぼって読み返したりしました。

ケースをすべて読み終えたらまた冒頭に戻って読み直すといろいろ発見がありそうです。

これからしばらくブログ更新は不定期になりそうですが、週1回以上はこの110症例ひとり読書を投稿しようと思います。早く読み終えたい♡