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こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例36・37)

ひとり読書会、こまめに2ケース読みを今日も実行。

今日は個人的にとても興味深い2ケースでした。


ひとり読書会で読んでいるのはこちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例36・37)


・(36) R.G.:1963年8月生まれ、R.G.の初診は1972年11月。彼は2歳まで喘息だったが、その後、どの食品が彼を悪化させたかがわかった。彼は非常に騒々しく食べるようになったが、彼の喘息は治った。彼は学習が遅く、特別な家庭教師を受けることでどうにか追いつくことができた。彼は1年生を再履修しなければならなかった。彼は児童精神医学の教授に診てもらい、正常であるとを認められた。養母は、彼の進歩のなさと字が下手なことを心配し続けていた。暗闇の中で頭のない男が銃を振り回しているような幻覚を見ることがよくあった。彼は他の子たちに対して偏執的であり、思考が非常に遅く、集中力と記憶力が乏しく、他の子たちと自分は違うと感じていた。彼は多くの食べものの匂いが嫌いだったので、とても貧相な食事をしていた。私はナイアシンアミド1gを1日1回、ピリドキシン250mgを1日2回、そしてマルチビタミンマルチミネラル製剤を与え始めた。彼は錠剤を飲み込むことができなかった。そこで私はナイアシン1g 1日3回をジュースに溶かしたものと液体のマルチビタミン製剤にプログラムを変更した。1973年2月28日、彼はよりリラックスし、90分まで読書ができた。彼はまだ薬を拒否し、ナイアシンの粉末を小麦のクリームに混ぜて飲んでいた。1973年5月31日、彼はイライラしていたが、学校ではよくやっていた。ジョン・ホッファーは1973年8月7日に彼を診察し、知覚の問題があることを発見した。まだ彼の思考が遅く、言語で躊躇していたし言葉はときどき奇妙だった。彼は多くの食べ物を嫌うので、食事中のタンパク質がまだ低すぎた。彼の評価は0011 (2) - 改善であった。1973年11月6日、彼は学校でうまくやっていた。牛乳を飲み始めてからおねしょをするようになった。これが解消されると彼は元気になった。彼の多動性スコアは正常であった - 1972年11月に37、また、1973年8月7日には40だった。


・ (37) M.H.:1958年6月生まれ。彼女の両親は1962年に別居状態となった。姉は父親と同居していたが、1967年に再び母親と合流した。姉はM.H.を無視していたが、弟のことは無視しなかったので、この頃から口喧嘩が絶えなかった。姉はこれがとても嫌だった。姉は統合失調症で、メガビタミン療法で回復した。M.H.は評定平均Bのよい生徒だったが、私が彼女に会う前の年末の成績は平均Cにまで悪化していた。彼女はいつも野暮ったくて悲しく、誰からも好かれていないと感じていた。姉が回復して家庭の状況はだいぶよくなってきたが、母親はこのような性格の変化をとても心配していた。私は彼女にナイアシンアミド1g 1日2回とアスコルビン酸12g 1日2回を投与した。1969年5月5日、すべてが改善した。彼女の集中力は高まり、自分を醜いとは思わなくなり、そばかすも薄くなり始めていた。1970年12月31日に、彼女は学校でいつもどおり平均Bに戻っていたが、まだ他の学生が自分に敵対していると感じていた。彼女に再度会ったのは1973年8月のことだった。その間に母親はアルコール依存症の男と結婚していたが、その男はM.H.を虐待し脅していた。彼女は一生懸命仲良くなろうとしていたので、このことに悩んだ。この結婚生活も崩壊の危機に瀕していた。彼女は2年間、すべてのビタミンをやめてしまっていたが、よい状態を保っていた。姉は結婚し、一緒に住もうと彼女を誘ってくれた。私は、適度なマルチビタミン・ミネラル製剤を摂取するようにアドバイスした。彼女の最終的な評価は1111(4)- 正常であった。


ひとりごと


今回はどちらも栄養面で興味深い記述がありました。

(34)はビタミンCを超大量に飲んでいて、そばかすが消えた、と。メガビタミンが効くのは行動面や学習面や心の問題に限らない、というのがここでも確認できますね!

(35)は偏食が強くて、タンパク質摂取が少ないと書かれていました。日本人は欧米人と比べてタンパク質が低下しがち、とは藤川徳美先生もおっしゃっていますが、海外にもタンパク質不足になる子どもがいるんだな…と印象的でした。