ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例38・39)

ひとり読書会こまめに2ケースシリーズ、続くうちは続けていきます!

ひとり読書会で読んでいるのはこちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例38・39)


(38) C.H.:1964年5月生まれ、C.H.が初診されたのは1969年12月。彼の母親は1969年2月に私の患者となった。(註:ややこしいですがしばらくは母親の話です。)

母親は頭痛、抑うつ、イライラを抑えるために3年間過度に飲酒していた。彼女は幻視や声を訴え、非常に被害妄想的であった。私は彼女を統合失調症と診断し、ナイアシンアミド1g 1日1回服用させた。1969年の終わりには彼女は元気になった。彼女は1970年4月に女児を出産した。当時ナイアシン4gとアスコルビン酸2gをそれぞれ1日1回服用していた。徐々にうつ状態になり、1970年10月に私は外来でECTを6回行った。1971年3月までに彼女は正常となった。1972年12月、扁桃腺摘出術のために入院し、嚥下できないため10日間すべてのビタミン剤を休んだ。幻聴の声が戻ってきて、過敏になって落ち込み、1973年1月5日に彼女は入院してECTを5回以上受けた。1973年4月までには元気になった。(註:母の話ここまで)

C.H.は彼女の最初の子だった。赤ちゃんの頃、彼はたくさん揺れていたし、後には円を描いて走り回っていた。1969年5月、彼はより多くの注目を必要とし始め、母親にしがみつき、従順ではなくなった。しばしば母のことを理解することができなかった。学校では激しい癇癪を起こし、教師に向かって叫び、殺すぞと脅すこともあった。学校での行動が悪化するにつれ、家庭でも悪化していった。児童精神科医が彼を診て「病気ではないが、情緒障害児のための特別クラスに送られるべき」と結論付けた。私はナイアシンアミド1gとアスコルビン酸1gを各1日2回を投与した。不気味な夢は数週間で消え、突然の劇的な改善を示したが、1971年4月に突然悪化した。6月までにほぼ改善した。私はナイアシンアミドを1g 1日3回に増加した。1970年10月15日までは改善したが、再び悪化した。私はまたナイアシンアミドを1g 1日4回に増量した。彼は再び回復したが、落ち込みは残存した。私はパルネート(抗うつ薬:MAO阻害薬)10mgを試したが、これは彼の精神病を活性化させ、中止しても10日は幻覚が続いた。1971年3月31日までにはほとんど幻覚を見ることはなくなった。吐き気があるためナイアシン1gを1日3回に変えた。私はナイアシンを9g 1日1回に増量したが、彼はこの量に耐えられず、2g 1日2回に減量した。1971年8月27日、彼は正常であった。両親はピリドキシンを継続しなかったので、数日後に彼はかなり悪化しました。ピリドキシンを再開し、また元気になった。これは何度か繰り返された。1972年、彼は感染性肝炎に罹り、2週間の入院中にすべてのビタミンをやめてしまった8月までは順調だった。黄疸が治まるにつれて具合が悪くなり始め、ビタミン剤を再開した。1973年7月6日、彼はナイアシンアミド1g 1日3回を服用していた。黄疸が再発した。彼の行動を気にしていないのに黄疸を心配する小児科医と私の間に葛藤があった。1973年7月6日、私はイノシトールナイアシン1g 1日3回、ピリドキシン250mgを1日2回、イミプラミン25mgを就寝時に投与し始めた。ジョン・ホッファーは彼が改善していないと評価した。1973年9月28日までには、彼ははるかに良くなり、母親によれば「正常」であった。黄疸は再発していなかった。多動性スコアは彼の状態を反映していた。会う前は107だったが、1972年5月4日には28だった。1973年7月6日には119、1973年9月28日には37だった。


・(39)Cur.H.:1967年6月生まれ。H.の初診は1971年6月。彼が4歳半の時に突然性格の変化がみられた。非常に利己的になり、妹に嫉妬し、以前はほとんど目立たなかった言語障害が悪化した。興奮すると言葉が口から出てきて意味不明なものになってしまった。前年から夜尿もあった。私はナイアシン1g 1日3回、ピリドキシン250mg 1日2回、アスコルビン酸1g 1日3回、食事療法を開始した。発語は改善し始めたが、ナイアシンは吐気・嘔吐を引き起こした。改善がみられないので1973年2月14日までナイアシンを休薬した。その後、彼が耐えられるようになったナイアシンを再開した。4月までに改善し始めた。彼はまだ幻視や幻聴を近くしていた。1973年6月1日にはほぼ回復し、1973年9月までには正常になり、より社交的で、集中力も高まり、夜尿もほとんどなくなった。彼の多動性スコアは1972年6月14日の113→1973年7月6日には33に減少した。


ひとりごと


今回はナイアシンの副作用シリーズ(笑)。

黄疸は気にするのに問題面には目を向けてくれない小児科医との対立構造がみられた症例(38)。もちろん黄疸だって気にしないといけないことですが…。

ナイアシンの吐気・嘔吐がみられたのは症例(39)。ほんの数か月でも間をあけると飲めるようになったのは不思議ですね。