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こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例40・41)

ひとり読書会こまめに2ケースシリーズ、本日もいきます!


読んでいるのはこちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例40・41)


・(40) P.H.:1969年2月生まれのP.H.の初診は1972年12月。妊娠中に母親の具合が悪く、帝王切開での出産となりました。8ヶ月で発声し始めたが、16ヶ月で突然発声を止め、2歳まで過剰に泣くようになった。とても落ち着きがなく、ホールに座って毛布をかぶって揺れる日々を過ごしていた。彼女は2歳半で再び発声するようになり、私が彼女に会ったときは喃語を話し始めていた。彼女は欲しいものを指差していた。遊びの学校では、非常に落ち着きがなかった。特別児童調査班(?)は、彼女を知的障害者と診断しました。私はこれに同意できず、多動症と診断した。ナイアシン1g 1日2回、アスコルビン酸1g 1日3回、チアミン150mg 1日3回、ピリドキシン200mg 1日3回を投与し始めた。1ヶ月後、彼女の多動性は軽減した。1973年1月17日、ナイアシンを1g 1日3回に増やした。1973年4月24日までに気分がずっと良くなり、もっと話そうとし、「ママ」「人形」と言うことができました。私はナイアシンを1g 1日4回に増やしました。また、ジメチルグリシン300mg 1日1回を追加しました。アラン・コット博士は、この単純な天然物で発語発達の顕著な加速を見たと私に話したことがあった。1973年8月29日までに、彼女は文章で話し始めていた。自己主張できるようになり、より自信を持ち、よく歩き、輪郭の中を塗ることができた。私はナイアシンを2g 1日3回に増やし、高価だったのでDMGF(たぶんジメチルグリシンですね…Fは何だろう?)を停止した。亜鉛マンガンを少し加えた。彼女は改善し続け、両親は彼女の進歩に満足していた。ジョン・ホッファーは彼女を改善したと評価した。1974年1月7日、彼女はより幸せになり、より多くのことを喋っていた。彼女はより多くのイニシアチブを示し、多動性も減り、色塗りもうまくなり、想像力を使い、静かに座ることができた。1974年3月8日には改善が持続していた。話すことが多くなり、語彙が増え、他の子たちとの社交性も高まっていた。多動性スコアは、1972年12月14日の63点→1974年1月7日の30点に減少した。1979年6月4日、フォーカス・エデュケーショナル・サービスの校長が「P.H.は聡明な少女で、学力や概念を理解し、操作する能力に大きな問題はない」と書いた。1981年10月19日、彼女は私に次のような手紙をよこした。「私は今年7年生になりましたが、まだ問題があり、専門的なプログラムに時間に取り組む必要があります。しかしそのプログラムに参加するため、あなたからの推薦状を教育委員会に出さなくてはなりません。〇〇へ推薦状を送っていただけないでしょうか。どうもありがとうございました お元気でいらっしゃることを願っています。12月1日に△△通りへ引越すことになりました。とても大きな古い家なので、部屋が増えるのを楽しみにしていますし、ママの飾り付けを手伝うのも楽しみにしています。」これは確かに知的障害者が書くような手紙ではない。彼女の母親は、私がビクトリアに引っ越した後も、私に会いに来てくれた。1993年7月29日に最後に彼女に会い、紹介医に次のような報告書を送った。「私は今日、彼女の母親に彼女に会い、彼女の継続的な改善を非常に喜んでいる。彼女は大学でキッチンヘルパーとして年に6-7ヶ月働いていて、この夏は介護を必要とする祖母の手伝いをしていたと、とても嬉しそうに報告してくれた。言葉遣いがとてもよくなり、物腰がとてもよく、親しみやすく、彼女の成長にとても満足している。精神状態の検査では、知覚変容も思考障害もなく、記憶力もよく、集中力もあった。元気で、睡眠も良好だ。私は彼女にアスコルビン酸1g 1日3回とB複合体50s(sって何だろう…B各種50mgの複数形かな?) 1日1回に戻すことを提案した。これは、彼女が赤ちゃんだったときの調査結果、IQ70でまったく言葉が出ないという記述とは対照的である。」


・(41)J.H.:1960年生まれのJ.H.の初診は1971年5月。生まれた時からジョーは難しい子だった。彼は食が細かった。20ヶ月までには歩き始め、3歳半で話すようになったが、眼鏡をかけるようになって間もなく話すことをやめ、7歳になるまで再び話すことはなかった。 私が会ったとき彼は混乱していて、読みが非常に悪く、単語がごちゃごちゃ混ざって見え、数字は裏返って見えた。彼は知的障害を持つ知覚障害と診断された。彼は言語療法と作業療法の特別クラスに在籍していた。ナイアシンアミド1g 1日3回、アスコルビン酸1g 1日2回、ピリドキシン250mg 1日1回、それと食事療法を開始した。1ヶ月後には単語は動き回らなくなり、読みもよくなり、言語もよくなり、読書も楽しんでいた。1971年12月29日、彼は改善した。夏のキャンプでビタミンを飲まなかった間、彼は悪化した。私はナイアシンアミド1g 1日4回に変えた。その後、母親は彼を正常と思うようになった。彼は小学校のギフテッド児のための学級へ行く機会を得た。数字が逆転することはめったになかった。以前のアレルギーは治まっていた。1973年7月19日、ジョン・ホッファーは彼を1011 (3)、「かなり改善」と評価した。彼は無症状で、家でも学校でもうまく過ごし、フレンドリーであった。もし彼が通常級に通っていたら、彼は1111と評価されていただろう。多動性スコアは1971年5月14日の47点→1971年7月19日には31点へと低下した。母親が彼の病気と回復について書いた「ジョーイを育てる」という手記は、この本の序文に掲載されている。


ひとりごと


ジメチルグリシンが言葉の発達に有効という報告がある、というのは初耳でした。

今日のケースに限らず、ビタミンを何らかの事情で数日止めただけで悪化したエピソードをよく見掛けます。継続が大事なんだと思うと同時に、止め時の判断も難しいなと考えさせられます。