ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例54・55)

ひとり読書会こまめに2ケースシリーズ、続けています。

今日でちょうど半分。そろそろ違うことも書きたくなってきたなぁ…(笑)。


読んでいるのはこちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例54・55)


・(54)M.L.:1964年11月生まれのM.L.の初診は1972年7月。彼は非常に静かでゆっくりとした受動的な赤ちゃんで、2歳から話し始めたが5歳まではあまり上達しなかった。その後、彼はゆっくり学ぶ子どもたちのためのクラスへ入った。2歳で多動性になった。話の内容が理解できず、返事も無意味なものばかりなので、私は彼と話すのは無理だと判断した。ナイアシンアミド1g 1日3回とピリドキシン250mg 1日1回とシュガーフリー食を開始。1972年8月18日、リタリン20mgを追加した。1972年8月23日にナイアシンアミドナイアシン1g 1日3回に変更し、リタリンを30mgに増やした。それから2ヶ月間に最初の改善がみられた。1972年12月29日、発話はスムーズではるかに明瞭になり、学校での成績もどんどんよくなった。リタリンを20mgに減らした。1973年3月29日に、毎日リオチロニン(合成甲状腺ホルモンT3製剤)5mcgを追加した。彼は改善し続け、非常に調子のよい日も出てきた。コミュニケーションが取れ、友達を作るようになり、ベッドで夜尿もほとんどなくなり、翌年には1年生に昇級した。ジョン・ホッファーは、1993年7月19日に彼を改善されていない、つまり0000(0)と評価した。1974年7月19日、ナイアシンアミドの投与に戻した。彼の言語能力は発達し続け、今や学校を楽しむようになった。彼の多動性スコアは、1972年7月26日に95→1973年3月29日に71→1973年7月19日に67→1974年1月8日の最後の評価で40になった。


・(55) D.M. 1960年3月生まれ。D.M.の父親は、1966年12月に夫婦関係の悪化を主訴に私の外来を受診した。彼は慢性統合失調症で、それが妻とうまくやっていけない主な理由だった。多くの幻覚に悩まされ、人を誤認し、猜疑心が強く、閉塞的で、正しい言葉が見つからなかったりいらない言葉が飛び出したりして、とても落ち込んでいた。ナイアシン1g 1日3回で徐々に改善し、1970年3月5日にはかなりよくなった。結婚は友好的な離婚に終わった。1971年2月、息子のD.M.は学校で行儀の問題がひどくなっていたため、母親に連れられて受診した。彼は授業中に大声で騒がしく、非常に不穏で、社会的にも不適切だった。ほぼ毎週のように居残りさせられていたが、気に留めていなかった。自分は普通だと思っていた。家庭では好戦的であった。彼は学習や作業が遅れがちになった。ナイアシンアミド1gを1日3回投与した。1971年5月17日までには、居残りをほとんど食らわなくなり、行動も改善した。1971年8月、6年生になった。母親によれば彼正常だったという。1973年7月16日、ジョン・ホッファーが評価したところ、彼は1111(4)、良好であった。母親は、彼を統合失調症にしたくなくて予防のためにビタミン剤投与を続けていたが、それは夫、そして最近では母自身の兄弟にもビタミン剤がどのような影響を及ぼすかを見たからである。彼の多動性スコアは1971年2月18日の67→1973年7月16日の45に変化した。


ひとりごと


(54)はずいぶん改善しているように感じられるのに、ジョンの評価が0000(0)だったのがちょっと意外でした。最終的にナイアシンアミドに戻していますが、ナイアシンよりナイアシンアミドのほうがよいのではないかという仮説はどこから生まれたのか、気になるところです。

(55)はかなり問題行動のみられるケースでしたが、ナイアシンアミド3gが著効したようです。元夫だけでなく、母親自身の兄弟たちもビタミンによる治療を受けて改善していたとのこと。やはり効果がありそうだと希望とモチベーションを持って治療をサポートしてくれる家族がいるというのは大きなプラスになりますね。