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こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例70・71)

今日もひとり読書会。

きっとみなさんもう飽きてこられていますよね…ごめんなさい。

でも、どうしても早く読み終えたいのです!


読んでいるのはこちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例70・71)


・(70) D.R.:1961年10月生まれ。生まれた時から協調性がなく、文字や言葉を覚えることができず、イライラしやすく、いつも疲れているようで、朝はぼんやりしているように見えた。毎晩夜尿をしていた。彼の母親は統合失調症の回復者であり、父親もビタミンB3を摂取していた。ナイアシンアミド1g 1日2回とアスコルビン酸1gを1日2回飲ませた。1968年1月25日、はるかに改善し、時々夜尿はあるが疲れにくくなり、読書を始めた。その後、ビタミン剤を中止してプラセボを開始した。彼の目は痛くなり、過活動になり、いつも泣き言を言い始め、非常にせっかちになり、ほとんど進歩がみられなくなった。彼は特別支援学級へ連れて行かれた。1968年2月8日、ナイアシンアミド1g 1日3回 を再開した。5日後には再び改善し始め、はるかによくなったが、以前ほどの改善は取り戻せていなかった。1969年2月26日には、夏の間に彼は薬を捨て始めて夏の終わりには何も飲まなくなり、すぐにずっと調子が悪くなったことを除けば、彼は改善し続けていた。まだ学校では問題を抱えていた。1969年10月22日、ナイアシン1g 1日3回を試したが、1971年1月4日までには、さらにいくつかの改善があった。その年の残りの期間、私はディアナー(デアノール=アセチルコリン補給サプリメント)とリタリンを試したが、それらは助けになりませんでした。1973年4月12日に私はピリドキシン250mg 1日1回を追加し、ビタミンB3をイノシトールナイアシン1g 1日3回に置き換えた。1973年7月20日、まだ幻視がみられ、集中力は悪く、思考途絶があり、非常に忘れっぽかった。しかし、母親は彼をほぼ正常と考えていた。彼は0, 0.5, 1, 0.5 (2) - 改善と評価された。多動性スコアは47であった。


・(71) W.R.:1960年5月生まれ、W.R.の初診は1969年4月。生後9ヶ月間、下痢、貧血、栄養失調に悩まされた。適切な食事療法を開始した後、彼は非常に急速に発達したが、多動性、活発、活動的、睡眠不足があり、トイレトレーニングも遅くて生後20ヶ月までかかった。妹が生まれた後に退行し、再び失禁(ここでのsoilは「衣服を汚す」の意味か?)し始めた。彼が小2になる頃には、彼は失禁していた。私が会ったときは、週に3回しか服を汚していなかった。彼は常に筋肉の緊張状態にあり、ほとんど前かがみになることができず、スケートしても非常にぎこちなかった。雷や稲妻のことを恐れて頭がいっぱいで、頻繁に夢を見ていた。ナイアシンアミド500mgとアスコルビン酸1gとメレリル20mgを服用させた。1ヶ月後、彼はずっと幸福になり、緊張感がなくなり、従順でなくなり、服を汚すことも少なくなった。ナイアシンアミドを2倍(1g)にした。1969年7月2日までには、かなり良くなっていた。1973年8月23日、ジョン・ホッファーは彼の評価を1111 (4)とした。母親の話では、数ヶ月間投薬を続けたところ、劇的な改善がみられたとのことだった。しかし、彼は錠剤を飲み込むのが難しくなって投薬中止となったが、彼は好調なままであった。母親は再発の兆候がないか注意深く彼を観察していたが、その兆候はみられなかった。


ひとりごと


(70)のディアナーは初登場のように思います。このケースには効果がなかったようです。ナイアシンアミドナイアシンナイアシンイノシトールとB3変更があったケースで、完全に症状が消えたわけではありませんが、母親から見ると改善は大きかったのでしょうね。

(71)はおそらく赤ちゃん返りや便失禁のあったケース。雷恐怖や身体の過緊張もあったようですが、ナイアシンアミドは1gしか使わず、ピリドキシン酸も併用していないのに劇的な改善がみられたのは凄い!