ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例94・95)

今日もひとり読書会です。

この章が終わるまではこのペースで行かせてくださいね…ごめんなさい。


読んでいるのはこちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例94・95)


・(94) C.W.:1959年1月生まれ。母親によると、1970年の秋までは些細な問題しかなかったが、その後非常に神経質になったという。本人は、自分は大丈夫と主張していた。1972年の初め、自分は誰にも好かれておらず誰もが自分に唸り声をあげる、と書き置きして家出した。誰も自分を探してはいけないとも書いてあった。翌朝、自分から家に電話をかけ、家族に呼び戻された。数日後、いとこと一緒に金を盗んだ。一週間後、そのいとこは年上の少年たちのギャングの一員で、自分たちのために本人にタバコを盗ませようとしていたことがわかった。その後、彼は非常に敵対的になり、誰に対しても怒るようになった。ナイアシンアミド1g 1日3回を投与した。1ヶ月後、彼はよりシャキッとして、明るく、学校でもよりよくなり、ほぼ正常に見えた。1973年7月23日、彼はジョン・ホッファーに、自分はわずか6ヶ月しかビタミン剤を続けなかったと話した。母親は、食事やサプリメントではなく、自分が息子に注意を払うようになったために改善したのだと考えていた。ジョン・ホッファーは、彼が非常に疲れていることに気づいた。毎日18時間近く、ちゃんと眠れていなかった。3ヶ月前から徐々に疲れやすくなっていた。まだ被害妄想が残っていたが、母親は彼を順調だと思っていた。評価は0011 (2)、改善であった。ナイアシンアミド200mg、チアミン100mg、リボフラビン25mg、ピリドキシン250mg、アスコルビン酸500mgを含むマルチビタミン錠の服用を開始した。1974年1月13日、疲労は少なくなり、全般的にはるかによくなっていた。その後、彼は0111 (3) - かなり改善と評価された。彼の多動性スコアは1971年4月22日に53→1973年7月23日に29に減少した。


・(95) K.W.:1964年6月生まれのK.W.の初診は1972年3月。12ヶ月で始歩、その後多動になった。1-2年生は文字が読めず、自己表現がうまくできなかったため、非常に困難であった。ナイアシンアミド1gを1日3回、ピリドキシン250mgを1日2回投与した。1ヶ月後には単語が動かなくなり、読めるようになった。学校が楽しくなり、よく眠るようになった。私はナイアシンアミドを4g 1日1回に増やした。1972年7月20日、学校ではずっと調子がよくなり、75点以下の成績はなかった。読書を楽しむようになったが、まだ落ち着きはなかった。1972年8月20日、彼はナイアシンアミドの苦味に耐えられなかったので、ナイアシン1g 1日3回に切り替えた。1972年12月19日、改善は続いていた。1973年4月23日には正常だった。1973年7月23日、ジョン・ホッファーは彼を1111(4)正常と評価した。両親はジョンに、本人がビタミンについて不注意になればいつでも行動は悪化するだろうと言った。多動性スコアは1972年3月17日に51→1972年4月20日には45→1973年7月23日は33であった。


ひとりごと

(94)は家出や盗みなど、なかなか素行の悪かったケース。ビタミンは有効だったようでうが、同時に母親の「食事やサプリメントではなく、自分が息子に注意を払うようになったために改善したのだ」という振り返りにジーンときます。

(95)は逆に、両親がビタミンの効果を実感しているケース。多動や学習の問題に有効だったようです。このケースではB3をナイアシンアミドからナイアシンにした理由が「苦味」だと明確に書いてありました。そういう選択の仕方もあるのですね…。