ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

子どもの注意や行動の障害を治す:新たな症例の経過(1) 症例3・4

週末はいろいろあって休んでしまいましたが、今日からひとり読書会再開です。

今日も興味深い症例がふたつ。


読んでいるのはこちらの本。


新たな症例の経過(1) 症例3・4


(3) R.G.:1992年12月22日生まれのR.G.の初診は1995年1月25日。両親は、彼女の発達の全般的な遅れを心配していた。彼女は4ヶ月間だけ母乳で育てられ、8ヶ月までに完全に離乳した。動作が緩慢で、寝返りを打つのも遅かったが、1994年9月に風邪が1ヶ月間長引いたあと発達が止まってしまってから両親は本気で心配するようになった。また、過呼吸になって地元の病院の救急外来へ一度連れて行かれた。その後、バンクーバーの小児病院で検査を受け、特に原因はないとされた。私が彼女に会ったとき、ちょうど椅子から椅子へと歩き始めた時期だったが、非常にぎこちなかった。動きに制限のある中で、多動のようにも見えた。自分で食事をすることはできるが、食べ散らかしていた。注目されることと喜んだが、抱っこされると非常に落ち着かず、引っ掻いたりを引っ張ったりする傾向があった。彼女は「ママ」と言うことができ、遊びに反応し、父親がある行動をすると笑っていた。慢性的な鼻水があり、これは乳製品を減らすと改善した。牛乳をたくさん飲んでいたのだ。りんごジュースを飲むと腹痛がした。皮膚に触れると赤くなった。爪に白斑があり、ピリドキシン亜鉛が欠乏のしている証拠であった。乳製品を使わない食事を与え、アスコルビン酸1g 1日1回、キレート亜鉛15mg 1日1回、子ども用処方のビタミン・ミネラル製剤を与えた。5月15日、彼女は一人で立ち、自分で歩けるようになったが、まだ不安定な状態が続いていた。発声も増え、成長も早くなった。両親は彼女の状態をまるで目を覚ましたかのようだと表現し、彼女の成長をとても喜んだ。1995年7月17日、鼻水はもう出なくなった。バナナとオーツ麦にアレルギーがあることが判明した。理解力は向上し、両親への反応も正常であった。彼女は20分間父親の腕の中で静かに横たわっていたが、こういうことは以前はできなかった。

5月15日にナイアシンアミド100mgを開始し、ジメチルグリシンDMG)50 mgを1日1回投与した。7月にはナイアシンアミドを500mg 1日3回に、DMGを50mg 1日3回に増やした。診察に来る数日前に、彼女はレット症候群の専門家である小児遺伝学者に診てもらった。彼は彼女のことをレット症候群の予後良好例に分類した。彼女がどんな疾患を持っているにせよ、栄養学的アプローチで大きな改善を示したことは間違いなく、おそらく今後も何年にもわたって大幅に改善していくだろう。


(4) J.D.:1980年9月生まれのJ.D.は1987年9月15日に初診した。彼はパークスセンターで乳児自閉症と診断されていた。難産で、5日間保育器を使用した。15ヶ月まで母乳で育てられていたが、それより前はミルクを与えられていた。生後13ヶ月で「ママ」という言葉を話すようになったが、3ヶ月後には言葉が出なくなった。生後18ヶ月の時点で、両親発達の遅れを心配していた。彼には周囲への反応がなかった。2歳の時、非常に高い熱を出した。2歳半の時、主治医と小児科医が診察し、正常であると判断された。プレスクール(幼稚園?)では、教諭は彼が変わり者だと気づき、7歳の時に自閉症と診断され、その後治療が行われた。私が彼に会ったとき、彼は話すことはできたが、容易に混乱するので非常にゆっくりと明確に話す必要があった。彼は一度にひとつの概念しか把握できなかった。メレリル25 mg を眠前に処方され、落ち着くことができた。よい精神状態を得ることはできなかった。夜中に鼻歌のような物音が聞こえると言った。私は彼の両親に、シュガーフリーで牛乳抜きの食事プログラムを行うよう助言し、ナイアシンアミド500 mg 1日3回、アスコルビン酸500 mg 1日3回、ピリドキシン250 mg 1日1回に亜鉛15 mgとカルシウム、マグネシウムを追加してB6による副作用を防ぐよう伝えた。 1988年2月9日には彼は落ち着いていて、指示によく従えるようになり、発話も改善した。一晩中眠れるようになった。1988年5月9日には、彼ははるかに改善し、感情的な反応もより適切になり、コミュニケーションを取るのも容易になった。1988年8月1日には、彼は1年生を修了し、算数は2年生のレベルになっていた。その1ヶ月後、学校でこれまでより落ち着きがなくなっていた。寝る前にイミプラミン25mgを追加した。1989年3月21日、母親は彼の進歩を喜んでいた。母親は2ヵ月前に彼をプログラムをやめてしまった。1989年4月6日、彼は脱落してしまったため、再びプログラムへ戻す必要があった。1年後、彼は通常の学校の3年生になった。1995年1月3日、8年生になり、成績はAとBであった。学校が好きで、友達とも仲良くしていましたが、孤独を感じていた。家では、より多くの友達を作っていた。彼はまだビタミンプログラムを続けており、両親は彼の進歩に満足していた。

ひとりごと

症例(3)はレット症候群のケース。「レット症候群があったとしても、栄養学的アプローチが有効だったし、おそらく今後も何年にもわたって大幅に改善していくだろう」という締めにはゾクゾクします。

症例(4)もコミュニケーションや精神症状がぐっと改善したケース。B6に加えて亜鉛とカルシウム、マグネシウムをしっかり摂るようにと明示してあったケースはこれまで少なかった気がしますが、忘れずにおきたいですね。