ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

驚き! ADHDに薬物療法は無力なのか…

毎日じわじわ噛みしめる

最近はこの本の続きをハラハラしながら読むのが楽しすぎて…。
驚愕の内容もあれば、我が意を得たりと思うところもあり、ずっと惹きつけられ続けています。

今日は第五章。
「薬漬け治療の実態」、怖すぎるタイトル!!
これまでのレビュー投稿はこちら。

第五章「薬漬け治療の実態」

ADHDの診断は客観的評価ではなく、簡易な質問紙式のスクリーニング検査だけで事実上診断がつけられているケースも少なくない。その項目は少し元気な子どもならたくさん当てはまるようなもので、ひとつとしてとりたてて異常といえるようなものはない。すべて程度問題で、それも極めて主観的なものだ。

まったく同感。あの形式で、みなさんどうやって自信をもって診断していらっしゃるのだろうとずっと疑問で、でも口にするのも何となくはばかられて…で過ごしてきてしまいました。

過剰投薬への懸念という観点から問題視されてきたのは、リタリンを開発したスイスのチバ社の営業戦略。単に薬を売り込もうとするのではなく多動症という障害自体を世に広め、薬によって劇的に改善することを医師や研究者も巻き込んで様々な方法で啓蒙した。一般向け出版物、映画、PTAの会合資金投入までしたことは後に問題となり規制を受けたが、リタリン使用は増え続けた。

そんなことがあったとは知りませんでした…『発達障害バブルの真相』第3章を思い出しながら読みました。

メチルフェニデートは副作用の食欲低下による成長への影響、生殖器の成長の遅れなども懸念される。さらに青年期ラットの実験ではメチルフェニデート投与により社会的な遊びが見られなくなったという研究もあり社会性の発達などへの影響も危惧される。

低身長や低体重の話はよく効きましたが、生殖器の成長まで影響があるのですね…。そして動物実験の結果からは社会性や社交性への影響も危惧される、と。慎重に使用せざるを得ないと感じます。

依存性については、急激に血中濃度を上げない剤型で依存の問題も含めて安全性の高まった徐放製剤コンサータの誕生が、爆発的な普及に一役買っていると言えるだろう。しかしアメリカを中心にメチルフェニデートの乱用は問題となっている。学生たちが認知機能や成績向上のために使用することも少なくないようだ。筆者もADHD 特性が見られない小中学生が成績向上の目的で自ら処方を希望するケースを経験している。

学生たちが成績向上のために?! そんな使われ方もしていたのですね。小中学生まで自ら希望するというのも怖い話ですが、中学受験や高校受験が激戦になる都市部ではあり得る話なのかなと思いました。

長期予後を調べた研究では、初期治療終了時には薬物療法が最も顕著な改善を示していたが、3年後にはその優位性は見られなくなり、6年後・8年後にはどの治療法を選択しても効果に有意な差はなかった。予後がよかったのは、スタート時点でADHD症状や行動上の問題が軽度、IQが高い、両親が離婚していない、経済的に裕福な子どもたち。治療法より障害の程度や家庭環境が長期的結果に影響していた。また、薬物療法を行った群ではうつや不安の症状が非薬物療法群より4倍多かった。

6年以上経つと薬物療法の優位性はない、薬物よりも予後に大きく影響するものがある、薬物を使うとむしろうつや不安などの症状が出やすい…薬物療法を行うメリットって何なんだ?と頭を抱えたくなります。児童期の2-3年を目途に「卒業」できるような計画をお子さんや親御さんと最初から共有しておくようにしたいと思います。

別の研究では、一旦始めた薬物療法を中断するとむしろ悪化する、長期間服用し続けても食欲低下などの副作用は持続する傾向がある、などもわかっている。児童期に一時的に有効でも、思春期以降など長期的な効果はまったく期待できない。

一度服用を始めるとやめにくいというのも難しいところですね…。

臨床医としての経験に照らしてみても、薬を使うか使わないかよりも家族や教員などの周囲の支え、適した進路や職業に出会えるかといった他の要因のほうが重要だ。薬を使うとしても、服薬が最終的な問題解決に導いてくれるわけではないことを認識し、服薬終了後への備えや本人の特性を生かす取り組みをしっかりと行っていくことが大切になるだろう。

これも完全同意。理解者との出会いや関わり、自分が自信をもって取り組めることを見つけること、とっても大事だと思います。ここも本人や親御さんと共有したい認識ですね。

成人と児童にメチルフェニデートプラセボを服用させた研究では、成人ではプラセボに対する反応が大きく、児童のような有効性は得られにくいようだ。

成人への安易な処方はすべきではない、ということですね。

コクラン共同計画で2014年から行われた成人ADHDに対する薬物療法は、非常に効果が高いという結論で締めくくられたが、その後複数の異議申し立てを受けて論文が取り下げられる事態となった。研究者たちに製薬会社から巨額の資金援助があったことが後に明らかになった。

あらら、あの信頼性の高いコクランレビューでさえ製薬会社さんの影が…。
やはり思い出すのは『発達障害バブルの真相』ですね。

この先がまた読みたくなる…

この章はこんな形で締めくくられています。

ADHDの過剰診断・過剰投薬に疑問を持ち再考の必要性を感じる専門家も増え始めている。ただ、診断された成人の大部分が疑似ADHDだったとしても、本人が苦しんでいるのは確か。急増する子どものADHD診断と、それに翻弄される親や教師もいる。彼らを前にADHDの診断や薬物療法は無力だが、問題の根源は何なのだろうか。

はい、本当にごもっとも!
ADHDっぽい症状に悩む大人も子どももいて、そんな彼らにADHDと診断してコンサータ等を処方すればよい、という話ではもはやなくなってきました。じゃあ、医療は悩める大人・子どもに何を提供できるのか? この先を読み進めたらヒントが見つかるのかな。楽しみです!

ADHDの「症状診断の危うさ」に頷くしかない

どうしても読み飛ばせない

本は1冊まるごと最初から最後まで丁寧に読むのではなく、必要なエッセンスを吸収できたらそれでOK。…

そんなふうに教えていただいたのに、どうしてもこの本は最初から丁寧に読まざるを得ません。

第一章、第二&第三章と読んできましたが、今日は第四章。
「症状診断の危うさ」…見出しだけで頷かずにいられませんでした。

第四章「症状判断の危うさ」

ADHDの診断は不注意症状だけではあてにならない。かつてワーキングメモリー障害と言われたがその説も否定された(ワーキングメモリ障害は LD の合併によるもの)。合併に関係なく ADHD に共通して認められたのは処理速度の低下であった。

たしかにADHDはワーキングメモリ障害というイメージを私自身今もぼんやり持っていました。それよりも処理速度低下のほうが重要ということ、覚えておきたいと思います。

ところがADHDが疑われる成人の場合ADHDスコアが高くなるほど処理速度も高いという正の相関が認められた。処理速度が高く頭の回転が速く手もよく動く人はADHDに似た状態を呈するということ。スクリーニング検査だけで診断する場合は特に過剰診断が起きやすい。優れた特性が障害として扱われていいはずがない。

これも、言われてみたらなんとなく納得できます。ときどきミスタイプしながら高速タッチタイピングをしている「デキるビジネスパーソン」みたいなイメージが浮かんできます(笑)。

コホート研究の結果は、大人のADHDの9割はADHDではなく不安障害や気分障害など他の原因によるものだと示している。だが実情は、不注意なミスや片付けられないという症状があれば、合併症の有無に関係なく抗ADHD薬が処方されることが多い。

大人のADHDの9割はADHDではない、というのは衝撃ですね…。
大人のADHDは「片付けられない女たち」のイメージが強烈すぎて、片付けられない=ADHDという構図ができあがってしまっている気がします。

中枢神経刺激薬はADHDであってもなくても一時的に集中力を高める効果を持つ。薬が効いたからADHDということではなく健常人が服用しても集中力が一時的に高まる。しかし長期的には不安やうつを悪化させる危険もある。

「薬が効いたからADHDということではない」は痛いところを突かれた感じです…。だから乱用が起こるんですもんね。そして、長期的には心の調子を崩すリスクがある、と。

子どもの場合は行動上の問題をADHDという診断で片付けられがちだが、行動上の問題が強いケースほど環境要因が絡んでくる。潔癖すぎる親や教師が大して問題のない子を反抗的にしてしまい医学的診断に助けを求めてくるという場合も少なくない。

こういうケースには本当にたくさんお会いするので、とても頷けます。親御さんとの相性、担任との相性、侮れないですよね。そして子ども個人の問題とされて服薬させられる流れを安易に作らないよう本当に気をつけたいと思いました。

その他、ASDや青年期のインターネットゲーム依存、成人ではアルコールや薬物の依存症、トラウマを抱えたケースに合併しやすい解離性障害ADHDと紛らわしい。不利な養育環境によって脳の機能や構造にも変化が生じることもわかってきた。不注意・多動症状とも関連があるという報告もある。こうした事実は疑似ADHDと本来のADHDが非常に見分け難いものであり、また疑似ADHDの方がより深刻な問題を抱えやすいことを示している。

これも鋭い指摘! いったい「本来のADHD」って何なんだ?とどんどん迷路にはまりこんでいきそうです。
不利な養育環境で育ったお子さんの症状が本当にADHD的に見えるのはよく経験しますし、施設に属している間はメチルフェニデートはそれなりに有効なことも多い気がしますが、社会に戻ってからはやっぱり環境からの影響を強く受けてしまうことが多いように感じます。本来のADHDより難しい状況、たしかにそうですよね…。

結局、やっぱりADHDが何なのかつかめない

この本を読みながら、ADHDへの理解が深まっているのは間違いないのですが、深まれば深まるほど「自分がよくわかっていなかった、ということがわかる」状態で、わからないことが広がっていく感じです。
本来のADHDだろうが疑似ADHDだろうが、困っているなら何か力になりたいし、その手段はたぶん薬物療法一辺倒ではない、ということはおぼろげながら見えてきています。

ADHDの正体が、どんどんわからなくなる…

ADHDの正体』を読み進める…

とにかく興味深くて、じっくり腰を据えて読んでいます。

第二章は、大人のADHDについて。
ニュージーランド、ブラジル、イギリスなどとにかく世界各国の研究で、小児期にADHDだった子は大きくなるとADHDじゃなくなっているのに、小児期にADHDではなかった人が成人期にADHDらしい症状を呈することがあると示されている、という話でした。

あれ?
小児期から成人期に持ち越すからメチルフェニデートを成人にも出せるようにしたんでしたよね…?

第三章 矛盾だらけの「ADHD

この章がまた読み応えがある!!
ADHDの歴史を振り返ることができ、その矛盾や謎の挿げ替えを私は初めて知ることとなりました…。

以下、本文の要約です。

1920年頃流行したウイルス性脳炎の影響でてんかん発作や麻痺知的障害などが見られた。農園の他外傷などの原因でも同様な状態が起きることもあり、これらをあわせて1930年代から「微細脳損傷」「微細脳機能不全」などと呼ばれるようになった。1952年、DSM-Iに微細脳機能障害が採用されたが、脳炎や外傷の後遺症のことであり、現在の ADHD の定義とは一致しない。

・戦後のベビーブームで学校は子ども達で溢れ、経済成長に伴い新しい産業の担い手のニーズが高まり、学業成績が非常に重視される空気に。その中で授業に集中できず周囲の迷惑になる子は「多動症」と説明され、投薬薬で静座可能になると示されたことは希望ではあった。だがこれは社会の変化が学業に適さない子を障害者に分類し始めたとも言える。

・教育的な努力で対処することに限界が感じ始めていた教師たちも、次第に医学的な救済手段にすがり始めた。それをさらに推し進めたのはスクールカウンセラー。彼らの重要な役割のひとつは、多動症の子どもを見つけ医療機関への受診を勧めることだった。

多動症にはメチルフェニデートリタリン)が有効で、時代のニーズに応えて1960年より多動症への治療に使われるようになった。
1968年のDSM-IIで「小児期の多動反応」が採用された。

・1960年代から70年代アメリカ精神医学会でそれまで優勢だった精神分析に変わって生物学的精神医学が台頭。その背景には抗精神病薬クロルプロマジンの登場や多動症に対するメチルフェニデート治療の有効性などがあった。精神分析では、多動症児の親は子どもの養育に関して責められがちだったが、生物学的精神医学は親の育て方の問題ではないとはっきり宣言した。

・1980年に出たDSM-IIIでは「多動性障害」だった概念が、1987年のDSM-III-Rでは「注意欠如多動性障害 (ADHD)」に変更された。

・1943年に初めて「自閉症」が報告された。精神分析の影響下で養育要因が重視されたが、やがて遺伝などの影響が強いことが裏付けられ生まれ持った要因によって起きる神経発達の障害として理解されるようになった。1980年代に知的障害や学習障害などとともに発達障害と総称されるようになった。
遺伝要因などの先天的要因を重視する「発達障害」という概念は親を罪悪感で苦しめることもなく受け入れられやすかったため医療や教育の現場に急速に浸透していく。

・しかし遺伝性疾患ではあり得ないことだが ADHD と診断される児童の数は急増し、薬物療法を受ける児童数も激増していく。メチルフェニデートが処方される多動症のケースは1987年から2011年の25年間に約10倍に増加した。残念ながら薬物療法の爆発的な普及が中長期的に見て事態を改善しているようには見えない。

・急増した理由の可能性として考えられるのは、診断基準が緩んだこと、多くの医師が積極的に診断するようになったこと、診断基準に該当する児童数が実際に増えていること。
社会経済的な複数の層に分けて検討すると ADHD が実質レベルで増加しているだけでなく社会経済的に不利な環境が ADHD 増加に拍車をかけていることを示している。この結果は ADHD が遺伝要因の強い疾患であることと矛盾しないだろうか。
もう一つ説明がつかないことは同じ発達障害である学習障害や知的障害は横ばいのままなのに ADHD だけ異常なペースで増えていることだ。

・以上のようにADHDという概念の素性はかなり混沌としている。様々な矛盾を孕んだまま、拡散テンソル画像(DTI)による脳画像研究や遺伝子研究が行われているが、結果の一貫性は乏しく、むしろ ADHD は非常に多様なものの寄せ集めであることが明確になってきた。

・双生児研究とあわせて卵子提供や出生直後に養子になったケースを検討したところ、実の母親とは全く無関係で、育ての母親の ADHD 症状とだけ統計学的に有意な相関を認めた。この事実から親の遺伝的影響と見なされているから入る部分が実は特性を持つ親に育てられることによる環境因である可能性を示している。

ADHDの症状と、反抗や攻撃など社会生活に深刻な影響を及ぼす行動上の問題の深刻さは必ずしも一致しない。

…ええっ? えええっ?!

診断名とその定義の変遷にビックリ

今のようにADHDが定義されて、大人も子どもも薬物療法を受ける時代に至るまでにこんな歴史があったなんて衝撃でした。

大人への処方にはますます慎重にならねばと気が引き締まると同時に、じゃあ大人のADHDって何なの?という疑問も湧き上がるわけで。

続きをまたハラハラしながら読んでみようと思います。

厚生労働省の見解のアップデートを知る…!

いつのまにか変わってる?


Twitter で見かけて驚いた情報。

厚生労働省が「発達障害は治らない、は誤り」という見解へとシフトチェンジした、と…?


そうなの?

いつの間に?


…さっそく厚生労働省ホームページへ出掛けてみました。


なるほど、ありました!


見つけたはこちらのページ。

「政策レポート 発達障害の理解のために」


「みなさんにわかってほしいこと」>「障害の予後についての誤解」という項目に、

成長とともに改善されていく課題もあり、必ずしも不変的なハンディキャップとは言い切れないのです。もちろん個人差はありますが、「障害だから治らない」という先入観は、成長の可能性を狭めてしまいます。

という表現があるではないですか!


個人差はある、でも発達障害は障害だから治らない、と診断早々決めてかかるのはまさに「先入観」であると厚生労働省も考えてくださっているようです。


厚生労働省さん、ありがとうございます!


厚生労働省さんが方針転換して、それを公表してくださっていること、とても嬉しく思います。

どんな病気や障害でも、新しい知見が得られれば、治療や対応は変わっていくもの。

情報を適宜アップデートしていくことはとても大事ですよね。


私も世の中の流れに置いていかれないよう、新しい情報を貪欲に取りに行って、時代にキャッチアップしていきたいと思います!

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例14-17)

ひとり読書会、症例紹介が続きます。

今日も安定の4ケース。まだまだ終わりが見えませんね…。

慌てず焦らず、110ケースの詳細をじっくり読んでいきます。


読んでいるのは、こちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例14-17)


・(14) A.C.:1965年3月生まれ、A.C.の初診は1973年4月。A.C.は一卵性双生児の相方と比べて、字が読めず、多動性であることから私に会いに来た。読むのが遅く、言葉の意味を理解するのに苦労していた。単語はページ上を行ったり来たりし、点は同時に動き回るので4つの点が5つのように見えた。彼の夢の中で、自分が周りの人々を蹴っているのを見た。自分の名前を呼ばれると、それが頭の中で反響した。彼はナイアシンアミド1gを1日3回、ピリドキシン250mgを1日1回、シュガーフリー食を始めた。2ヶ月後には改善し、1973年8月22日にはよい状態となった。ジョン・ホッファーは、彼をほぼ快方に向かっていると気づいた。1973年10月23日、彼はとびひを患い、落ち着きがなくなり、再び学校に行けなくなった。しかし、1973年11月13日までには再びかなり改善された。彼の多動性スコアは1973年4月12日の85→1973年10月23日には55に減少。彼の改善スコアは0111 (3) - かなり改善であった。


・(15) T.C.:1965年生まれ、T.C.の初診は1973年4月。A.C.(ケース14)の双子の弟のT.C.も学習障害があり、言葉がわからず、算数が苦手だった。去年の夏に補習的な読書指導を受けたが、ほとんど改善されなかった。時には自分の世界に入り込んでしまうこともあった。家での彼の行動は悪かった。朝になるとよく怒鳴り声が聞こえ、それは「脳が自分を呼んでいる」のだと彼は語った。前日寝る前にも同じ音声が聞こえていた。彼は双子と同じプログラムを受け始めた。1973年6月12日には改善し、簡単に読めるようになり、本を置くことができないほど刺激的なことがわかった。1973年8月22日、ジョン・ホーファーは、彼にはいくつかの幻覚があることに気づいた。彼の先生は、彼の改善に驚いた。彼の最終的な評価は0111 (3) - かなり改善、であった。彼の多動性スコアは1973年4月12日の79→1973年10月23日の41に変化した。

この双子の父親は、声が聞こえたり非現実感を感じたりしており、途絶がみられ、妄想的な考えもあり、記憶力や集中力も低下しており、23年間うつ病だった。彼も治療を開始した。最終受診時には知覚の異常はなかったが、まだ落ち込みはみられた。


・ (16) B.C.:1961年5月生まれ、B.C.の初診は1970年9月。B.C.は3歳までに多動を示し、不注意で、罰を受けても反応がなく、反抗的で面倒くさがりだった。9歳までにはさらに悪化した。学校では年齢相応の平均的な生徒だったが、空をじっと見つめる傾向があった。彼は、夜中に人が部屋の中で自分を見ていると確信しており、誰かの存在を感じる遠い部屋の隅を非常に恐れていた。彼はしばしば正夢となる予知夢を見ていた。夕食後にナイアシンアミド1g1日3回と夕食後(? after supper)にニューレプチル5mgが投与開始となった。9月から1971年1月の間に彼の食欲は改善され、恐怖心も過敏性も軽減した。彼は5ポンド太った。1972年8月、腹痛を発症した。12月にビタミン剤を減らし、ピリドキシン250mg 1日1回を追加した。4ヶ月間休薬した。代わりに彼はナイアシン1gを1日3回摂取した。1972年8月29日、彼はまだ2週間ごとに腹痛に苦しんでいた。彼は今、寝る前にイミプラミン25mgと必要に応じてペリアクチン4mg 1日1回が必要だった。その後、秋に黄疸が出て痒みがあり、粘土色の便と濃い尿が出た。ビタミンB3を中止すると黄疸は治まり、ナイアシンを再開すると黄疸が再発した。母親には、ピリドキシン250mg 1日1回を続けている間に悪化した場合はイノシトールナイアシンを投与するようにと助言した。その後も調子はよかった。多動性スコアは1970年9月の69→1973年7月の47に低下.改善評価は1111(4)-正常、であった。


ナイアシンまたはナイアシンアミドで黄疸が出たのは2例だけで,イノシトールエステルでは黄疸が出たことはなかった。両方の形態で黄疸が出た子がひとりいたがは、イノシトールナイアシンでよくなった。両者ともビタミンの投与を中止すると完全に回復した。おそらく、血中へのビタミンの放出が早すぎたために、肝臓の酵素が過剰に働いてしまったのだろう。イノシトールエステルのように、非常にゆっくりとビタミンを放出する製品ではおそらくこのような副作用は生じないだろう。


・(17) C.C.:1964年6月生まれ、C.C.の初診は1972年12月。C.C.は生後16ヶ月までに歩行を始め、3歳で話すようになり、その後すぐに少し過活動になった。C.C.は明瞭に話すことができず、言語療法を受けていた。私が彼に会ったときはまだ言語障害がみられ、文字を読めなかった。言葉がおかしいように感じた。私はナイアシンアミド1g 1日3回、アスコルビン酸1gを1日2回、ピリドキシン250mg 1日1回を投与し始めた。1ヶ月後、彼はよりリラックスしていたが、朝はまだ不機嫌だった。幻視はなくなり、眠りも浅くなり、好奇心が強くなり、記憶力も向上した。3ヶ月後、彼の様子に変化はなかった。私は彼の母親に、試しにビタミン剤をやめるように頼んだ。ジョン・ホッファーは、彼が10日間ビタミン剤をやめた後、1973年7月10日に彼に会った。彼は順調で、評価は1111(4)だった。母親は彼をほぼ正常と感じており、学校では顕著な改善を示していた。彼の多動性スコアは、1972年12月9日に57→1973年7月10日には55でほぼ同じままであった。


ひとりごと


今日も症例4つ読んでみました。

またしても子どもに続いて父親がビタミンを試すケースがありましたね。子どもに限らず、大人でもある程度改善がみられるという予想どおりの結果。

まだ5分の1も終わっていませんが、もう誰でも一度試してみたらいいんじゃない? って言いたい気持ちがだんだん高まってきます(笑)。

「ADHDの正体」を読む…第一章

冒頭から、目が離せません


ADHDの正体』を早速読み始めましたが、もう第1章から目が話せない記述がいっぱい!!

気になる部分を要約しながADHDの正体ら、とにかく今日は第一章だけご紹介します。


第一章 緩められる診断基準

アメリカで定期的に行われている全国健康面接調査の結果報告で見ると3-17歳の子どもにおける ADHD の有病率は1997年に5.5%→2012年には9.5%、つまり子どもの1割が ADHD と診断されたことがある。12歳から17歳までに限るとさらに高い増加率で、15年間でほぼ2倍。他方、学習障害の有病率はほぼ変わらない。(p.22)

アメリカの子どもの10人にひとりがADHD…それはさすがに多すぎるだろう、と思いますよね。

多動や不注意を示す子どもに対してドーパミンなどのの働きを強める中枢刺激剤が有効なことは戦前から知られており、1960年代から作用が緩やかで副作用や依存性が小さいとされるメチルフェニデートリタリン)が主に使われるようになった。12歳までの児童に使われることが多く、成人するまでに中止すべきだとされていた。(p.24)

児童に投与を限定していたのは、薬剤の有効性が脳が未発達の段階にある時に高いと考えられていたこと、思春期以降に中枢刺激剤を投与すると依存や乱用につながる恐れがあるとされたことの二つの理由による。(p.24)

メチルフェニデートは効き目も副作用も緩やかなほうではあるのですよね。成人までに中止すべきとされていたことはなんとなく知っていましたが、未発達の脳のほうが効果が高いと思われていたことは初めて知りました…。

世界で最も早くから ADHD薬物療法が行われていたアメリカでは1990年代に入ってからメチルフェニデートの処方が急増。1994年の1年間だけで全世界の消費量の8割以上にわたる2億錠を超える処方が行われ、処方を受ける児童の数は200万人を超え、成人になっても薬を止められないケースが膨大な数にのぼった。…臨床家の間からは大人にも ADHD の診断を広げるべきだという意見が増えてくるようになり、その要請を受け診断基準が変更された(DSM-IV)。(p.24-25)

処方されている薬の量や投与されている人数にも驚きますが、成人になってもやめられない人がいるから診断を成人にも広げようという要請が臨床家から出ていたことにもびっくり。

診断基準は変わることがある、と私の本にも書いたけれど、こんな流れで変更になっているのかと知ると、診断基準の信憑性って…と考えてしまいますね。

診断基準の緩和と薬物療法の拡大は二人三脚。対象年齢が大きく広げられメチルフェニデートの処方は1990年代だけで6倍以上に増加。(p.25)

そりゃ、診断基準が変わって診断のつく人が増えたら、薬物療法を受ける人も処方される薬も増えますよね…。

依存や乱用が社会問題化し、徐放製剤コンサータが2000年にアメリカで認可。2007年末から日本でも発売され、使用が爆発的に増えた。18歳未満のみ処方可能という制限が徐々に緩められることになった。(p.25)

徐放剤のほうが安全ではあるかもしれませんが、爆発的に処方が増えることや、年齢制限があっても結局緩和されていくことはやはり心配にはなりますね。

大人の ADHD の診断に関して、7歳未満の発症が12歳までの発症へと基準が緩み、本人の申し立てのみで診断が可能となった。(p.25)

これもDSM-5からだったように記憶していますが、さらに

2013年のDSM-5からASDであってもADHDと診断できるように診断基準が変更されたが、これはASDの3割に合併するADHD薬物療法が行えるようにするためだ。(p.33)

本人の記憶の範囲で手軽に診断がつくようになったのも、診断併記(これも私の本の中で触れました…)が可能になったのも、正しく2つとも診断名をつけるためじゃなく薬物療法しやすくするためだったとしたら、かなりショックです…。

国際的な学会が診断基準を緩めてまで診断を後押しするという状況は、医療機関にも関連業界にもまたとないビジネスチャンスを提供することにもなったが…(p.33)

なんとも思わせぶりな文章で第一章は締めくくられています。

岡田先生、本当に思いきって書いてくださったなと思っています。

目次を見ているだけで続きが気になって仕方ありませんが、それはまた後日。

こういうタイトルの本に惹かれる性分なので、もう仕方ない。

今日は手短に…

今日はまた新しいチャレンジが始まった、刺激的な一日でした。

誰かのがんばる姿を見ると自分の気持ちも盛り上がってくるから不思議♪

気になっていた本を入手!

私はと言うとちょっと前から気になっていたこの本をついに手に入ることができました。

どうしてもこういうタイトルの本に惹かれてしまうのは何故だろう?

診断の既成概念に挑んじゃう感じについワクワクしてしまうのです(笑)。

岡田尊司先生だから、というのもあります

岡田尊司先生の著作のことは何年か前にもブログ記事にしましたが、

いち読者としてとても信頼している著者さんなので、ひと目この本を見てぜひ読みたいと思ったのです。

これから読み始めるので、いずれレビュー記事を書かせていただこうと思います。
読むのが楽しみです❤


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