ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

漫画『リエゾン』をどっぷり味わう。

リエゾン』1巻、届きました♪

楽しみに楽しみに待っていた、週刊モーニング連載中の漫画『リエゾン』初の単行本が届きました。

ああ、この表紙!!
待ってました❤

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しかし、お預けをくらう

こんなに楽しみにしていたのに、すぐに読みはじめることは叶いませんでした。

なぜか?

「何これ? めっちゃ面白そう♪ 読んでいい?」と息子が読み始めたから(笑)。

子どもには刺激の強いシーンもあるかなと思ったのですが、一息に読み切り、

「ほおお、遠野先生、すごいいいひとだったわ…。続きはないん?」

と聞いてきました。

わかる、その気持ち…。
次の単行本が出るまで待ってね!

私も一気読み。

試し読みでおおよそ読んでいたとはいえ、未公開シーンもとても興味深くて、惹き込まれるように一気に読み終えました。

フィクションだというのは置いておくとしても、キャラクターは魅力的だし、患者さんの設定はリアルだし、とても面白くて。

これを読んで児童精神科を目指す若い先生たちが増えてくれたら嬉しいなと思うし、ご自分のお子さんのことを心配しているお母さんにも児童精神科の様子をチラ見する気持ちで読んでいただけたらいいなと思います♪

『君はずっと一緒だった』、読み終えました…

ついに読了…

花風社さんから発売された『君はずっと一緒だった』、今日は一気に最後まで読み切りました。

なんだか、もう…。
どんどん自分がどうしようもない悲しみの中に落ちていくのがわかります。

まとまりがありませんが、思うことはたくさん…

明生くんが自死してしまった理由を知りたい、「なぜあのとき…」って経緯をたどって確かめたい、という卯月さんのお気持ちがとても伝わってくるし、本当によくわかるのです。

でも、それをしようとすればするほど卯月さんが傷ついていくのがもういたたまれなくて。

明生くんがこの人に出会えてよかったなと昨日(高校卒業時点で)思っていた黒川先生に、今日はずたずたに裏切られた気持ち。

「彼が亡くなっても、僕の心の中に生きているから悲しくない」???
そんな言葉を、お子さんを亡くしたお母さんに向かって掛けられる神経がまっっったく理解できない。
そして学校や自分の立場を守ろうとコロコロ豹変するところにも本当にガッカリ。

それでも、高校生当時の明生くんはきっと、黒川先生と話すことを楽しんでいたのだと思う。せめてそう思いたい。

後医は名医っていうし、あとから「あのときこうしておけばよかったんじゃないの?」って知ったように言うのは簡単で卑怯なことだから避けたいけれど。

でも、高校のときに黒川先生と卯月さんがもっと意思疎通をはかれていたら何か違ったのかも…とどうしても思ってしまいます。

それから、この中高一貫校が保護者全体に対してもう少し先入観や敵対心を抱かずにいてくれたら…。
たぶん、明生くん入学よりも前に何かそういうきっかけになることがあったのだろうと思われますが、そんなに保護者“全体”に最初から警戒しなくてもいいのに。

診断の扱われ方についても、もっと積極的に伝えたほうがいいのかと自分自身に迷いが出てきました。
でも、校医も小川先生(女医さん)も診断名は口に出していましたもんね。
診断名がどうかということよりも、お子さん(明生くん)本人の状態をきちんと評価して明生くんと卯月さんと共有することが必要だったのかな…。
これは本当に卑怯な結果論だし、そうしていたら防げたのかどうかはもちろんわからないけれど。

これだけの重大な明生くんの歴史を私たちに公開して共有してくださった卯月さんには心の底から感謝したいと思います。

私たちは、出会う子どもたちの人生に関わらせてもらっているんだ。
そのことを忘れないように。
明生くんや卯月さんのようなつらい思いをお子さんや親御さんに味わわせないように。
強く思わせていただきました。

この本を世に出してくださって、本当にありがとうございます。

最後に。
お母さんの愛情は、明生くんに絶対に伝わっていたと思います。

明生くんのご冥福をお祈り申し上げます。

『君はずっと一緒だった』を読み始めました。

すごい本を読み始めました。

花風社さんから発売された『君はずっと一緒だった 〜自閉症だった息子〜』を今日ようやく手にすることができました。


(すみません、すでに完売です)

昨日届いたはずだったのに、なぜか宅配ボックスに入れてもらえず持ち帰りに…あわてて再配達を依頼。
今日のお昼前に届き、そこから食い入るように読んでいました。

書かれた意図を知っているとはいえ

作者の卯月さんがご長男の明生さんについて綴っておられるこの本。
どのような意図があって書かれたものかを事前に知ったうえで購入して読み始めたわけですが…。

中学高校編まで読み終えた今の気持ちをひとことで言うと、

医療者のひとりとして、申し訳ございません!!

という思いでいっぱい。

母乳を与えたらキレる産院の看護師さん、中高一貫校の校医さん、ちょっぴり不思議な女性児童精神科医さん。

…お母さん、いっぱいつらい思いをされましたね!!

なんだかもう、そんなことあっていいのか?って信じたくないレベルの残念さ。
誰がなんと謝ろうと、もう引き返すことはできないのですが、本当に悲しくなってしまって。

学校の先生方にもたくさんの謎対応があってガックリくるのですが、高校で真島先生に担任していただけたことと、養教の勧めとはいえ(?)黒川先生のカウンセリングを受けることができたのは明生くんにとってほんのわずかでも救いだったのではないかなと感じました。

お子さんの育ちを支える大人は大事!!

お母さんは明生くんが小さいときから一貫して、明生くんの感受性豊かで繊細で素直でまっすぐなところをときに心配しながらもあたたかいまなざしで見守りながら育てていらっしゃったのがとても伝わってきます。

でも、子どもが育つ過程ではずっと家族とだけ一緒にいればいいわけじゃなくて。
学校などの社会集団に属するようになったら、両親以外の大人(もちろん子どももですが)との関わりがどうしても必須になってきます。

最近どこかで書いたような気がするけど、学校の先生は基本的には選べないし、担任の先生などに違和感を抱いてもきっぱり拒絶したり距離を置いたりするのはたいていの保護者にとってはとてもとても難しいこと。

ものすごく相性がいいとは限らなくても、せめて子どもひとりひとりのことを尊重して、勝手な思い込みや決めつけのない目で見てくれる大人と出会えるかどうかが子どもの育ちや過ごしやすさに大きく影響するのだな…と改めて感じさせられました。

続きの大学編以降もとてもとても気になります。
心して読み進めたいと思います。

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ブログお休みのお知らせ。

今日はブログお休みします…

Kindle本、たくさんの方に読んでいただき、ありがとうございます!

おかげさまでKindleストアのふたつのカテゴリーで1位をいただきました。

そんな中、新しい職場の準備でじっくり話し合ったり細かいことを決めたりする時間もあり、今日のブログはお休みすることにしました。

感覚統合の本も読まなくちゃ💦
明日から通常モードに戻る予定です。
たぶん。

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例6-9)

ひとり読書会、症例紹介を少しずつ進んでいきます。
110ケース、豊富なのはありがたいけど、なかなか終わらない(笑)。

読んでいるのは、こちらの本です。

確証のための情報(3)症例紹介(症例6-9)

・(6) Ter. A:1966年2月生まれのTer. A.が初めて目撃されたのは1972年12月。彼はB.A.の弟だった。彼は文字を読むことができず、言葉を理解することも記憶することもできなかった。すべての文字が逆さまに見え、彼が書こうとすると、単語がおかしく見えた。1972年の初め、彼は脚への循環を遮断していた大動脈狭窄に対する手術を受けた。その後、彼の問題はますます悪化し、簡単に動揺するようなり、しつけが難しくなった。暗闇が怖いと言っていたのは、物陰に怪物が見えたり、天井から大きな顔が自分を見下ろしているのがしばしば見えたからだ。彼はこれらの映像が現実ではないことを知っていたが、それでも怖かったのだ。屋根裏部屋で足音を聞くこともしばしばあり、母親に家の中を捜索するように要求した。学校では、彼はクラスメートが自分をからかっていると信じていた。彼は時々落ち込んだり、疲れたりしていた。私はナイアシンアミド1gを1日3回とピリドキシン1日250mgを処方した。1ヶ月後、彼は被害妄想が減り、幻視に悩まされることも少なくなったが、二重に見える状態が続いていた。3ヵ月後には複視はなくなり、知覚症状はなくなったが、非常に落ち着きがなかった。私はナイアシンアミドを500mg×1日3回に減らし、ナイアシン500 mgを1日3回とリタリン10mg1日1回 を加えた。1973年6月までに、彼はまだ読み書きに問題を抱えていたが、学校での成績は「まあまあ」(教師の評価)から「良い」~「非常に良い」の間に上がっていました。ジョン・ホッファーは彼を見て、彼が改善されていないことを発見し、1000のスコアをつけた。8月にナイアシンは食欲を奪うため中止され、ナイアシンアミド1g1日1回で再開した。1973年11月、ナイアシンイノシトール2g1日1回を追加した。彼の行動は改善したが、読みにはまだ問題が残っていた。1974年2月、ナイアシンアミドを3g1日1回に増量し、ピリドキシン250mg1日1回を追加し、リタリンを中止し、イミプラミン25mgを寝る前に服用するようにした。多動性スコアは1972年12月の61→1973年6月には39に低下した。彼の最終評価は(1) - 改善なし。

・(7) ロブ A. :1961年9月生まれのロブ.Aに初めて会ったのは1972年10月。私が彼を見る一年前、彼は病院の救急病棟でひどい事故の犠牲者を数人見ていた。その後、彼は隔絶感があり、恐怖を感じ、ひどい悪夢を見るようになり、最終的には考えることができなくなって学校に行くことを拒否した。彼は非常に被害妄想的になった。腐った感じがして、神経質になり、眠れないと言っていた。彼はカイロプラクターによってダイエットと適度なビタミンプログラムを始められ、改善され始めた。彼らがサスカトゥーンに移動した後に1週間ビタミンを中止したら、すぐ再発した。検査のとき彼は、人々がいつも彼を見るのでカーテンを閉じたままにしていたと報告した。悪夢の中で他の惑星から侵略されると、彼が目を覚ました後もその夢は彼とともに残存した。影の中に人間や他の生物を見た。彼は夜にトイレに行くのが怖かった。彼は自分の考えが声で聞こえ、それらに返答をし、しばしば非現実的な感じがしていた。学校では、他の男子が自分に対して陰謀を企てていると思っていた。彼は中断なしに思考することができず、集中力は貧弱だった。数字は彼を混乱させた。その結果、彼は落ち込み、神経質になり、疲れやすく、自殺願望もあった。私は彼にナイアシンアミド1gを1日3回、アスコルビン酸1gを1日3回、ピリドキシン250 mgを1日1回、シュガーフリー食を始めた。1972年12月には、彼は良くなり、腐った気分はほとんどなくなり、学校も楽になり、すべての症状はあまり強くなくなった。その後、アミトリプチレン25mgとペルフェナジン2mgを含む化合物を就寝時に加えた。1973年3月には、彼はかなり良くなっていた。5月には、彼は赤い麻疹を発症したが、再発はなかった。8月にジョン・ホッファーは,彼にはまだいくつかの幻視があり,幻覚を1回あり,まだ神経質であると気づいた。多動性テストでは、1972年10月の65点→1973年8月には45点に低下した。彼の評価は0111(3)、かなり改善だった。HODは非常に高スコアから正常かほぼ正常レベルに減少した。トータルスコアは123点から32点に、知覚スコアは10点から2点に、パラノイドノイドスコアは10から2点に、抑うつスコアは11点から5点に減少した。

・(8) C.B.:1959年4月生まれ、C.B.に初めて会ったのは1972年2月。彼女は4年前から学校での疲労感や神経過敏、家庭での過活動などで神経質になることが多くなっていた。母親には、すべての子たちがみんな自分に反対していて、彼女と両親を憎んでいるのだと言った。彼女はジャンクフードが大好きだった。彼女は私には断続的な腹部の痛みだけを訴えていた。私は彼女にナイアシンアミド1gを1日3回、ピリドキシン250mgを1日1回、シュガーフリー食を始めた。1ヶ月後、彼女は元気になった。1973年7月23日、ジョン・ホーファーは、彼女が食事療法に従っていないこと、錠剤を飲み込むのが好きではなかったのでビタミンを摂るのを止めていたことに気づいた。彼女の両親によると、彼女は再発し以前の状態に戻っていた。彼女は中1の成績が摂れていなかった。彼女の評価は「0000」、つまり改善なしであった。彼女はナイアシンアミドの味が嫌いだったので、私は代わりにカプセルを始め、再び彼女は1ヶ月後によくなった。カプセルを飲むことを嫌がることはなくなった。彼女の多動性スコアは、1972年2月の87→1972年4月には40に減少し、1973年7月には55に増加した。彼女の最終的な評価は1111(4)、良好であった。

・(9) K.B.:1962年3月生まれ、K.B.の初診は1969年8月。メガビタミン治療中の慢性統合失調症から回復していた母親が、息子が病気になっているのではないかと心配して連れてきた。記憶力は非常に悪く、反復的でゆっくりしていた。時には普通にも見えた。私は、彼が統合失調症であるとは考えていなかったが、発症している可能性もあったので、ナイアシンアミド500mgを1日3回投与した。1971年2月、彼は良くなっていなかった。合併症があったのだ。学校看護師は、彼の母親が彼に十分な愛情を与えていないと助言した。私はナイアシンアミドを1g×1日3回に増加させ、朝にパルネート10 mgを開始した。彼は4日間で薬を止めなければならなくなった。1971年8月までに、彼は学校では良くなったが、家では良くならなかった。11月8日、私はアスコルビン酸1gを1日2回、ピリドキシン250mgを1日1回追加した。1972年2月にはリタリン20mg×1日1回を追加し、2ヶ月後には40mgに増やした。その夏、私はリタリンを中止した。1972年9月には、彼はほぼ正常になりましたが、ビタミン剤を飲むのが好きでなかった。1973年11月26日までには、彼はナイアシンアミドのみを服用したままで、あまりよい状態ではなかった。彼は、特に興奮しているとき声の調節に問題があったが、学校では平均Bの成績を取っていた。7月のジョン・ホッファーの検査では、彼にはまだ幻視があり、物忘れがあり、落ち込んでいることがわかった。彼はシュガーフリー食をしていなかった。ジョンは、統合失調症の母親が息子に対処するのが難しく、息子の治療を十分に監督していなかったと結論づけた。多動性スコアは1971年2月の75点→1973年7月には47点になっていた。彼は0100(1) - 改善なしと評価されました。

ひとりごと

今日も症例4つ読んでみました…5例いきたかったけど、タイムオーバー。
結構改善していても改善なしと評価されているケースもあり、なかなか評価がシビアだなと感じました。
以前読んだ範囲にも、親がきちんとビタミン治療を継続させるかどうかがいちばん予後に影響する因子だと書かれていたけれど、まさに(9)はそんな例ですね。

『児童精神科を受診しようか迷ったら読む本』、本日からお読みいただけます♪

本日、Kindle本が販売開始となりました

今日は大事な告知をさせていただきます!

先日こちらのブログでも予告していた、新刊『児童精神科を受診しようか迷ったら読む本』。
本日からAmazonでご購入いただけるようになりました♪


Amazon Kindleのみの発売です。
Kindle Unlimited対象ですので、Unlimited会員の方は無料でお読みいただけます。

Kindle本はKindle専用端末だけでなく、Kindleアプリをダウンロードすればスマホでも読むことができます。

医療機関でお母さんとお子さんをお迎えする側の人間のひとりとして、そして同じく時に不安になりながら子育てしている母親のひとりとして、お母さんの不安を少しでも和らげることができたらと思って書いた1冊です。

お子さんの児童精神科受診を考えていらっしゃるお母さんにも、周囲に受診を勧められて戸惑っていらっしゃるお母さんにも、ぜひ目を通していただけたら嬉しいです。

どうぞよろしくお願いします。

区切りのお礼と、週末トライした小さな野望。

90000PV、ありがとうございます!

いつも「ここのすラボ2.1」を読んでくださってありがとうございます。
今日のお昼頃、はてブロへ移転後9万PVを突破したようです。

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相変わらず、というか特に最近は偏りまくった興味のままに記事を更新していますが、「子どものこころをのびのびすくすく」育てることをこれからも大切にしてブログを続けていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします!

週末にやってみたこと

この週末、小さな野望を実行してみました。
やってみたのは燻製づくり。

ソーセージやベーコンなどの加工肉には添加物が入っているというのがずっと気になっていて、自宅でベーコンは作れないものかと思いついたのがきっかけでした。

とりあえず豚バラ肉のブロックを買ってきて、塩と乾燥バジルをまぶして一晩寝かせて。


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テフロン加工の鍋を鍋も蓋もアルミホイルで覆って、
100均で買った金属製鍋敷きを脚付き網の代わりに置いて、
スモーク用チップの代わりにティーバッグ2袋と砂糖を混ぜたものを鍋底(のアルミホイル上)に載せて、
IHコンロをON。

煙が出たら鍋敷きにお肉を置いて蓋して密封。
待つこと数十分…。

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自家製ベーコン初挑戦の結果は?

キッチンの煙感知器が反応するようなこともなく、無事にベーコンが完成したのでした♪

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え? こんなんでいいの?
手作りベーコン、いつでも作れるじゃん!

何事も、案ずるより産むが易し、なんですね。
とても楽しい経験でした。
これで、安心できるベーコンでたんぱく質たっぷりのお弁当を作ろうと思います♪