ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

【第4弾】「発達障害バブルの真相」に衝撃を受けています

発達障害バブル」から抜け出す章へ到達!

この本にはまだまだ引き込まれ続けています。

発達障害バブルの真相: 救済か?魔女狩りか?暴走する発達障害者支援

発達障害バブルの真相: 救済か?魔女狩りか?暴走する発達障害者支援

今回で最後のレビューにするつもりなのですが…。
これまでのレビューはこちら。

第5章 発達障害バブルの混乱から抜け出すために

本書の第一の狙いは、一般には全く知られていない問題を明らかにすることでした。(p.177)

一応発達障害の診療に携わる者のひとりとして読んでいる私にとっても、驚くような情報をたくさん紹介してくださっていて非常にありがたかったです。

後者(=発達障害は脳の先天的機能障害なので治らないと断言する情報)の方が圧倒的多数であり、治らないものを治すと謳うものは全てインチキだ!と前者を非難する声も大きいです。(p.177~)

現状、この一文はまったくそのとおりだと思います。

大きなニュースとなったのは、親学問題です。…

発達障害は伝統的な子育てで予防できる、一部の発達障害は治せるという旨の主張をしたことが物議を醸しました。(p.177)

恥ずかしながら、私は親学で教わる内容がどのようなものか分からないので、親学そのものを批判できる立場ではないのですが、「伝統的な子育てで予防できる」といった主張が当事者の親御さんを傷つける恐れがあるということはとても理解できます。
個人的には、発達障害児の子育てには定型発達児以上に丁寧で注意深いサポートが必要だとは思っています。でもそれは伝統的な子育てとは私の中では無関係で、定型発達児には特に必要なかった配慮を要したり、定型発達児は平気で受け入れるものでも慎重に検討したり、といった最新の治験も活用したデリケートな子育てというイメージです。
親御さんが普通に愛情深く育てていてもお子さんの育ちがうまく進まないことがある、と考えると、親御さんには専門知識に基づいたアドバイスがあったほうがよいでしょうし、そのアドバイスに親御さんを責める意味が含まれるというのはおかしいと感じます。

なぜそこに誤解や対立、混乱が生まれるのでしょうか。その原因の一つは、発達障害という包括的な概念自体にありそうです。(p.178~)

誤解や対立を生む何よりも一番の原因は、発達障害が正しく診断されていないという点でしょう。正確には、本来発達障害とすべきでない人々が誤って診断されているのです。(p.179)

発達障害という概念が幅広く使われすぎているというのは私も感じます。神田橋條治先生も診断が大雑把すぎるといったことをこちらの本で語っておられたように記憶しています。

発達障害は治りますか?

発達障害は治りますか?

スペクトラム概念が出てきてから、発達障害特性が軽い人も拾われやすくなっているのは間違いないと思います。
発達の偏りが大きくても小さくても支援が必要な人がいる、というのがそもそもローナ・ウイング氏がスペクトラム概念を提唱したスタートだったように理解していますが(間違っていましたらぜひご指摘ください)、そのことばが正式に診断基準に入ってきたことで、誰でも彼でも診断→薬物療法という流れになってしまっているのが問題なのではないでしょうか。

もしかしたら筆者は「本当に診断すべき発達障害の人は治らない、何らかの介入で治るような人を発達障害と診断すべきではない」というお考えなのかもしれません。だとしたらそこは自分の考えとはちょっと違うなぁと感じました。
発達障害特性が軽くても診断から支援に繋がってくれたらよいというのが私の思いです。それは、私の中で「診断→薬物療法」という直線1本ではないからかもしれません。

何らかの介入で診断基準を満たさないほど改善する人たちは、改善した時点で診断が外れればいいのでは、と思っています。
診断について初めにご本人やご家族に説明するときにも「今はスペクトラムっていう考え方があってね…」という部分も含めて説明すれば、何故自分は診断がつかなくなるのかという点も理解しやすいのではないでしょうか。


…まだ第5章に入ったばかりなのに、つい熱くなってしまいました。
明日こそ最後まで読みきれるかな。
長々と続いてごめんなさい。