ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

【最終回・第5弾】「発達障害バブルの真相」に衝撃を受けています

発達障害バブルの真相」、読了!!

本当に、心にずっと問いかけてくれる本でした。
ぜひ一度読んでみていただきたいです。

発達障害バブルの真相: 救済か?魔女狩りか?暴走する発達障害者支援

発達障害バブルの真相: 救済か?魔女狩りか?暴走する発達障害者支援

とうとう最後までたどり着くことができました。
これまでのレビューを貼っておきます。

第5章 発達障害バブルの混乱から抜け出すために(つづき)

非難すべきは、実際に治癒や改善に導いていている人ではなく、治った、改善されたと喜ぶ人でもなく、その人に、「先天的」「治らない」という烙印を押すような発達障害の診断を誤って下した医師ではないのでしょうか。(p.179)

ああ、もう何というバッサリした切れ味!! スカッとします。診断がつく人達の中には、よくなる人がたくさんいる。よくなっても、診断が外れない人はいるかもしれません。それでも変化しないよりした方がいいし、診断を伝えるなら、そこに希望も伝えてほしい、伝えるべきだと思います。

インチキ療法は存在しますが、インチキだと叩かれているものが全てインチキだとは限りません。

興味深いことに、代替療法等の本流ではない治療に対して「疑似科学だ!」「インチキ療法だ!」と必死で叩いている人は、なぜか精神医療という本流の非科学性詐欺的手法に対して公然と批判しないのです。(p.180)

あら、これもどこかで見たことある風景…。
でも、本当にインチキ療法には気をつけていただきたいと思います。お金儲けの雰囲気は敏感に察知してほしいですし、いくら親切に見えても、魅力的な話に思えても、その場で即契約などせずに一旦持ち帰って、信頼できる人達とよく話し合ってから決断していただきたいと思います。
発達障害特性を改善する手法は、基本的には特別高額なお金を使わなくても済むものばかりだと私は思っています。何も工夫しない生活よりはある程度お金はかかるかもしれませんが、一括で誰かにお金を払ったら魔法のように治る方法が得られるという類のものではありません。

初診の問診のみで発達障害の診断を下すような医師は、まず信用に値しません。(p.181)

そ、そうでしょうね…。正直、私もそう思います。
ちょっとだけ弁護すると、医師には診断をつけることを期待されてしまう側面があるので、診断を求められると早く白黒つけてあげたいと思ってしまうところはあると思います。結果的にそれが医師の威厳や万能感を振りかざすことになってしまっているのかもしれません。

食事、栄養が重要であることは誰しも理解しているでしょう。…食事は良い意味でも悪い意味でも想像以上に影響を及ぼしているのです。(p.182)

以前から私はメンタルヘルスの分野における食事・営養の取り組みについて関心がありました。なぜならば、精神科の通常の治療で何ら改善することなく悪化し続けていた人が、食事・栄養の取り組みで改善、時には治癒していく様子を何でも見ていたからです。(p.183)

ここにきて、まさかの栄養推しにちょっと戸惑っています。私自身も栄養が精神的な問題や発達の問題に重要な役割を果たしていると思っていますし、基本的には筆者のこの主張には賛成です。

本の中ではこの後、「子どもの心と健康を守る会」の国光美佳代表の取り組み事例が紹介されています。
国光氏については存じ上げなかったのでGoogleで検索してみました。

ここにお金儲けの雰囲気を感じるか否かは個々人の解釈だと思いますが、基本がケチな私の場合は38000円の講座を受ける前にまずは子どもの食事に煮干粉をふりかけるところからはりきって真似してみるかもしれません。それなら数百円でチャレンジできますもんね。

さて、このような改善された事例を紹介すると、どんな反論が来るのか予想されます。「いや、ミネラル不足が発達障害の原因になるというエビデンスはない」…「エビデンス出せ」「エビデンスがー」……。(p.198~)

またもや、どこかで見た光景が描かれていてびっくりです。

栄養的なアプローチで治る人は、本来発達障害に含めるべきでないでしょう。(p.199)

あ、やはりそうお考えでしたか。納得です。

「食の改善? そんなエビデンスがないことやっても意味がない」と否定するのは簡単です。でも、本人や親にとって大事なことは、エビデンスうんぬんよりも実際に良くなるかどうかです。(p.199)

どれだけ批判されようが、現実に「発達障害と診断された人」を改善・治癒に導いている人がいます。どちらに耳を傾け、その意見や手法を採用するかは皆さんの自由です。(p.200)

ここについては100%同意します。私の心の中にあることをはっきりと文章にまとめてくださっていて、清々しい思いです。

医師の基本的な姿勢によって発達障害の診断率が変わってきます。ある医師は発達障害をいかに見つけ出すかという視点で診察します(=検察に近い視点)。一方、別の医師はいかに発達障害ではない可能性を見つけるかという視点で診察をします(=弁護士に近い視点)。発達障害診断においては、検察官的視点よりもはるかに弁護士的視点が重要です。冤罪は取り返しがつかないからです。(p.202~)

発達障害と診断されることを「冤罪」「取り返しがつかない」と呼ばれるのは苦しいですね。「発達障害と思われる症状はたしかにみられる、でもそれには改善する方法があるかもしれない。まずは血液検査など身体の状態をチェックさせてほしい」と伝えて、たとえば栄養状態に介入して改善するならそれでいいんじゃないのかなと思ってしまいます。栄養状態が整って診断がつくような症状が見られなくなるまでは、必要な時に発達障害という診断を活用して本人に役立つサービスを利用できた方が本人は過ごしやすいのではないでしょうか。

もしも医療にかかるのであれば、発達障害診断に対して慎重派の医師を選ぶべきです。そして、問題とされる症状や振る舞いを引き起こす原因となっている身体的要因を見つけ出す、という視点と力量を持った有能な医師にかかるべきです。(p.204)

診断範囲の幅という観点を除けば、筆者の意見に私も賛成です。私自身もお子さんや親御さんから見て「かかりたい受診先」でありたいと思います。メアリー・アン・ブロック博士のことは存じ上げなかったので、著書など読んでみたいと思います。

米国では…子どもへの薬物治療が見直され、必ずしも医療に頼らない多職種連携による発達支援が進められています。(p.205)

筆者の考える「あるべき発達支援」の姿がこの辺りから描かれています。私も発達障害支援のトップに医師がいるのは正直なところちょっとおかしいと思っています。
現実に今自分の職場でしていることは、お子さんと親御さんの希望を聞きながらの家族間調整だったり、学校と連携しての環境調整だったり、学外の学習支援専門家への繋ぎだったり、福祉サービスへの繋ぎや地域の支援者との連携だったり、といったことの方が薬物療法よりもウェイトが大きいのです。
栄養状態確認の為の血液検査もしますが(笑)、あとはわりとコーディネーターみたいな感じかもしれません。発達障害支援に関しては、医師をカジュアルに便利に使ってもらえたらいいなという気持ちです。

最後に

長かった「発達障害バブルの真相」のレビューもとうとう終わりを迎えました。
筆者の考えと自分の思いとを比べながら、自分はいったいどうしたいのか、発達障害支援の世界がどうなるのがいいのか、といったことをじっくり考えさせてもらって、とても貴重な時間でした。

最後に筆者が挙げている身を守るための基本的な心得を撤去して、このレビューを締めたいと思います。

  1. 使える知識を持つ
  2. 常に確認し、根拠を示させる
  3. 決断の拠り所を「権威」や「多数派」のみに求めない
  4. 「信じます」「お任せします」はダメ
  5. 決して自分の専門性は譲らない
  6. 不必要に敵を作らない
  7. 常に批判・否定してくる人に注意すること

長々とお付き合いくださり、ありがとうございました!