ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例96-98)

今日もひとり読書会です。

今日はシンプルな事例が多かったので、3ケース読んでおきます。


読んでいるのはこちらの本。


確証のための情報(3)症例紹介(症例96-98)


・(96) Ca.W.:1962年3月生まれのCa.W.の初診は1972年6月。強盗が家に入ってくるのをとても恐れていた。叔母と二人の姉妹は、彼女の被害妄想的な態度を心配していた。自分は誰にも好かれていないと確信し、恐怖心が強く、夜になると足音が聞こえたり夜驚を起こしたりしていた。次第に無気力になり、よく身体を揺らしていた。夜には服が動物のように見えてしまう幻覚があると話してくれた。悲しく、自殺念慮があった。ナイアシンアミド1gを1日3回とピリドキシン25mgを1日2回投与した。1973年3月23日、正常になっていた。1973年5月11日に家族より、彼女がナイアシンアミドナイアシンのどちらにも耐えられないと報告があったので、イノシトールナイアシン1g 1日3回を始めた。順調に過ごせていたが、入眠が難しいとわかった。1973年6月21日、まだ簡単に落胆し、被害妄想的で、人々が自分を見つめていると感じ、落ち込みがあり、決して笑うことはなく、友人もいなかった。ナイアシンアミド1g 1日2回を再開し、イノシトール誘導体を1g 1日1回に減らし、就寝時にイミプラミン25mgを追加した。1973年8月23日、かなり良くなっていたが、まだ恥ずかしがり屋で恐怖心が強かった。ジョン・ホッファーは彼女を0.5,0.5,0.5,0(1.5)、改善と評価した。ずいぶん良くなっていたが、「かなり改善」と評価できる状態にはまだ達していなかった。1973年12月4日、ほぼ同じ状態のままだった。彼女の多動性スコアは、1972年6月22日に71→1972年8月2日に45に減少し、その後1973年8月23日には55に増加していた。

・(97) D.W.:1953年12月生まれ、D.W.の初診は1972年6月。D.W.はCa.W.の姉だった。彼女もまた内気で、徐々に悪化していた。多動で、妹と同じ行動がみられた。自分は人から見られていると感じ、被害妄想的で、人々が自分について話していると確信していた。記憶力は悪く、集中できず、途絶もみられた。ビタミン治療を開始したところ、1973年12月4日には正常になった。

・(98) F.W.:1958年10月生まれのF.W.の初診は1972年4月。彼女はこの家族の3番目の女の子だった。叔母は1年前から彼女の不機嫌さとうつ状態を心配していた。私には彼女が病気だとは思わず、ただ食生活を改善するようアドバイスした。2ヶ月後、彼女は元気になった。ブドウ糖負荷曲線は1973年2月に行われ、彼女が重度の相対的低血糖症を持っていたことを示した。


ひとりごと

(96)と(97)は姉妹。ふたりにはほぼ同じ症状があり、同時期に初診しています。妹の(96)のほうがビタミンB3の調整に難航したようで、最終的に「かなり改善」以上の評価にはならなかったようですが、姉の経過は良好だったみたいですね。
(98)はビタミンすら使わず、食事の工夫のみで軽快した事例。血糖値の乱高下のコントロールがいかに大事かがよくわかります。