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こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例86・87)

今日もひとり読書会。

昨日は訳すたびに文章を保存しそびれることを5回くらい繰り返し、ちょっと凹みすぎて投稿せずに過ごしてしまいました。今日は再開できてよかった…。


読んでいるのはこちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例86・87)


・(86) R.U. 1974年4月生まれのR.U.は、1971年10月に初診(74年生まれの人を71年に診ることは不可能…年齢一覧表ではR.U.くんは8歳となっているので、おそらく63年生まれ)。彼は顕著な言語障害を持っており、彼を言うことを理解することは困難だった。過敏性があり、怒りやすく、暴力的になることもあった。精神科ではIQ78の知的障害と診断された。ナイアシンアミドアスコルビン酸を各1g 1日3回投与した。2ヶ月で彼は穏やかになり、発話も良くなり、学校でもかなりの改善が報告された。1972年6月1日にピリドキシン250mg 1日2回を追加した。彼は(1973年)4月まで改善し続けた。1972年11月28日、本人が1972年6月8日から20日まで高熱を伴う黄疸になっていたことを母親から私に報告した。彼は明らかに感染性肝炎に罹っていたにもかかわらず、医療従事者によるビタミンB3に対する一般的な恐れのためにビタミンを中止させられたのだった。ビタミンを止めてからすぐに悪化し始め、発話も悪化した。1972年11月28日、改善がとても遅かったので、母親はナイアシンアミド再開を望んだ。1973年8月13日、それはまだ彼の言うことを理解するのは困難だったが、もはや声が聞こえることはなく、多動もなかった。しかしまだ協調困難に苦しんでいた。彼は0101(2) - 改善と評価された。多動性スコアは1971年10月22日の59→1974年1月13日の49に低下した。


・(87) F.U. 1960年5月生まれのF.U.の初診は1971年4月。12歳の時、F.U.の兄が1970年7月に初めて私のもとへ相談に現れた。

兄は小学5年生を2度履修することになり、それを先生のせいにしていた。5歳の時、時速45マイルで走っていた車から転落した。意識を失いかけて錯乱状態になり、7日間入院しました。これに続いて、性格が著しく変化した。激しい短気に悩まされ、頑固で、従順ではなく、頻繁に頭痛に苦しんでいた。11歳の時、一度だけ大発作を起こした。父親は偏執的なてんかん患者で、服薬を拒否していた。両親は離婚していた。兄の多動性スコアは97だった。ナイアシンアミド1gを1日1回投与した。1971年4月までに調子よくなり、6年生に進級した。1971年5月、母親が8人の子どもたちの面倒をみきれなくなったため、父親の家へ移り一緒に暮らすことになった。父親は兄に一切のビタミンを与えることを拒否したが、1972年7月18日の最終報告時点で彼はまだ順調だった。


F.U.は毎週月曜日に痛みを訴えていた。母親は、丸1日続くF.U.の重度の抑うつ発作が頻繁に繰り返されることを心配していた。それ以外のときは、彼女は明るかった。また、学校での勉強も難しくなってきていた。ナイアシンアミド1gを1日1回投与し始めた。一ヶ月後には、彼女は落ち着き、学校でも順調で、痛みを訴えることはほとんどなかった。1972年4月21日、彼女は父親と一緒に暮らしていた。母親は自分の病気のために(1971年の)夏中ずっと4人の子どもたちを父親のもとに送っていた。父親はF.U.に一切ビタミンを与えることはなかった。彼女は非常に調子を崩し、1972年3月に母親の家に戻り、母親がナイアシンアミドを再開した。彼女は改善し始め、1972年10月20日にははほぼ正常だった。私はピリドキシン250mg 1日2回も追加していた。1973年1月19日に、錠剤を飲み込むのが嫌で1972年11月15日からビタミンを中止していたことを打ち明けた。1973年8月1日に、母親は、F.U.が7月中に悪化し始めたが、F.U.自身はまだ自分のことを調子が良いと考えていると報告した。ジョン・ホッファーは彼女を1111(4)と評価した。しかし、ビタミン剤を服用している間は、イライラやとげとげしさがさらに少なくなった。1974年1月13日には順調だった。


1971年5月には母親が自分自身のために私のもとへ訪れた。彼女は自分の行動をF.U.と一緒にわが子のように判断していた。何年もの間、彼女は多くの幻視や幻覚に苦しみ、声が聞こえ、非現実感を抱いていた。被害妄想、混乱、閉塞感、抑うつ状態に陥り、記憶力と集中力が低下していた。ナイアシン4g 1日1回、アスコルビン酸4G 1日1回、ピリドキシン250mg 1日2回、アミトリプチリン75mg 1日1回で構成されるメガビタミンの処方を開始した。1973年1月には正常であった。


ひとりごと


(86)は、久しぶりに出た、医療者がナイアシンの副作用である肝障害を恐れてビタミンを止めてしまったケース。明らかに感染性肝炎があるのに…というホッファーの恨み言が面白かったです。このケース、おそらく出生年が間違っていますね。

(87)は兄の事例から始まり、本人を挟んで最後は母親のビタミン治療の話で締めくくられています。父親はてんかんがあり、母親には陽性症状があり、その両親離婚していて子どもが8人というなかなか大変な状況でしたが、本人F.U.さんは1111(4)、正常。やっぱりビタミンの作用はとても頼もしいと感じます。