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こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例76・77)

今日もひとり読書会。

昨日、ブログ11万PVを突破しました。

見に来てくださる方そっちのけで自分のためにこの本を読み続けてしまっているのに、それでもいつも閲覧くださってありがとうございます!


相変わらず読んでいるのはこちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例76・77)


・(76) T.S.:1955年1月生まれ。彼は怒りの爆発を除けば学校でうまくやっていた。添削や復習を受け入れられず、長い時間恨みを抱き、親のせいにしていた。彼はメンタルヘルスクリニックで診察を受けたが、両親は「彼を不安にさせてしまうから決して叱ってはいけない」とアドバイスされた。精神安定剤を投与され、太りすぎた。明らかに統合失調症だった。ナイアシンアミドアスコルビン酸を各1g 1日3回投与し始めた。12月末にはかなり良くなっていたが、1月中旬また症状が悪化した。就寝時にイミプラミン30mgを追加した。2月中旬までには、もう夜尿をしなくなり、心も元気になり、学校が退屈ではなくなった。1969年6月13日、改善し続けていた。1973年8月10日、ジョン・ホッファーは彼に改善がみられないことに気づいた。1971年8月にすべての薬を止めていたのだ。まだ多くの幻覚がみられたし、学校でいくつかの困難はあったが、もう問題行動はなかった。彼は0100 (1) - 改善なしと評価された。ナイアシンアミドが再開されピリドキシン250mgの1日2回が追加された。1973年10月10日、再び良い状態となり、学業成績に影響がない程度の症状はまだあったがかなり改善していた。


・(77)E.S.:1957年11月生まれ、E.S.の初診は1971年9月。1968年、近所の人がミルクワゴンに轢かれて死んでしまって以来、E.S.は非常に心配性で、事故を見るたびに落ち着きを失い、気が動転するようになった。交通騒音が怖くて一晩中扇風機をつけて音をかき消していた。一年間、彼は精神療法のために児童精神科医に診てもらったが、改善はなかった。父親は慢性的な偏執性統合失調症で、一緒に暮らせず、両親は離婚していた。ナイアシンアミド1g 1日3回とアスコルビン酸1G 1日3回を投与し始めた。3ヶ月後、事故のことを心配しなくなったが、女性ドライバーをまだ恐れていた。学校では良い状態になった。私はピリドキシン250mg 1日3回を追加した。1972年5月9日、さらに多くの改善を示し、1972年6月13日にはほぼ正常だった。成績はB平均に上昇していたが、まだ道路の騒音に悩まされていた。1973年8月10日に彼は好調だった。ビタミン剤を止めると数日で神経質になった。ジョン・ホッファーは彼を1111(4) - 正常と評価した。多動性スコアは1971年9月の41点→1971年12月15日の27点に変化した。


ひとりごと


(76)は怒りや恨みが強く出ていましたが、こうした感情面の難しさもビタミンによる介入で改善すると教えてくれる症例でした。イミプラミンはいつまで使っていたのかな…?


(77)は父親の統合失調症や幼少期のPTSD的体験など難しい要素を複数抱えているケース。それでもちゃんと症状が薄れていくものなんですね!

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例74・75)

今日もひとり読書会。

朝のうちに終わらせると気分が楽です(笑)。



読んでいるのはこちらの本。


確証のための情報(3)症例紹介(症例74・75)


・(74)Gus.S.:1958年12月生まれ、1973年4月に初診。発話障害があり、語彙は非常に限定され、自己表現に大きな困難があった。学習は遅れ、IQテストでは55だった。私は幼少期統合失調症ではないかと思った。公立校ではコントロールできず、知的障害者のための特別支援学校に3年間通っていたが、その間に他の子たちから悪い癖をいくつか取り入れた。ナイアシンアミド1g 1日3回とピリドキシン250mg 1日2回を投与開始。1ヶ月後にはわずかに改善した。その後ナイアシン1g 1日3回を追加した。1973年8月までに、彼の発話は学業成績同様明らかに改善した。まだ深刻な問題行動があった。ジョン・ホッファーは0000(0)、改善なしと評価した。1973年11月までに、吐き気のためナイアシンを止めなければならなかった。彼はまだ良くなっていなかった。にもかかわらず、多動性スコアは1973年4月2日の101→1973年11月14日の65まで低下していた。彼には2歳から知的障害のあるの兄がいた。20歳まで兄も問題行動を抱えていた。兄は慢性統合失調症で、半年間のビタミン剤治療には反応しなかった。



・(75) Y.S.:1955年6月生まれ、Y.S.の初診は1969年6月。私に会う前の1年間、この子はとても神経質になり、だんだんと両親が自分や同級生をじろじろと見ているのではないかと猜疑心を抱くようになった。ほとんどの人が自分を嫌っていると彼女は言った。途絶がみられ、記憶力と集中力が非常に低下し、内向的になった。幻覚が現れ、ページの上で単語が上下に動き、心を読まれてしまうので直接人を見ないようにしていた。自分の考えや他人の声が幻聴として聞こえていた。ナイアシンアミド1g 1日3回、アスコルビン酸1g 1日3回、メレリル30mg 1日1回を投与した。1ヶ月後、被害妄想が少なくなり、自殺願望も減った。1969年7月24日には幻覚はなくなり、声が聞こえることも減り、被害妄想はまた減少し、人との付き合いも快適になり、疲れにくくなり、落ち込むこともなくなった。1969年10月9日の彼女は、1973年8月9日にジョン・ホッファーが会って1111(4)と評価した時と同じように好調だった。彼女は、自分にとってまだビタミンが必要かどうか確認するためにビタミン摂取を止めたところ再びすぐにとても神経質になったが、4年間精神安定剤は必要としなかった。彼女は航空会社のアテンダントになる訓練生として採用された。


ひとりごと


(74)は改善なしと評価されたケース。でも多動性スコアは大きく改善していますね。兄もビタミンへの反応がよくなかったようなので、何か別の要因も持っている人なのかもしれません。

(75)は思春期になって陽性症状がみられたケース。こちらはビタミンで大きな改善がみられ、CA訓練生にまでなっているのは驚きです!

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例72・73)

今日はひとり読書会再開。

いつのまにか残り40例を切りました♪ でも、まだまだ!


読んでいるのはこちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例72・73)


・(72) C.S.:1964年8月生まれ。初診は1972年6月。彼女は2歳半のときに非常に嫉妬深く、過敏になり、落ち込んだ。どんな愛情を受け入れることはなかった。多動になり、そのため学校で問題を起こした。彼女は私に視覚と聴覚の幻覚について話してくれた。ナイアシンアミド1g 1日3回とピリドキシン250mg 1日2回を始めた。一ヶ月後、彼女ははるかに良くなり、1972年10月18日には正常になっていた。1973年7月にジョン・ホッファーは彼女を正常-1111(4)と評価した。多動性スコアは、1972年6月5日は85→1972年10月18日には35まで減少した。


・(73) G.S.:1959年9月生まれ。初診は1973年6月。彼はC.S.の兄弟であった。2歳半でとても緊張が強く、多動だった。母親自身が病気であり、母親は彼に関わらないという形で彼の障害に対処していた。彼は反抗的になり、しつけにも応じず、友達もできなかったが、学校ではうまくやっていた。単語がぼやけて見えたり、幻聴に怯えたり、自分の考えが声になって聞こえてきたり、非現実感があったり、自分の手が大きくなるように見えたりした。抑うつに加えて被害妄想的になり、途絶があり、頭の中でアイデアが浮かんだり消えたりして、コミュニケーションをとることや集中することが難しかった。疲れていて、自分自身に嫌気がさしていた。私が彼に会う4ヶ月前に母親がナイアシンアミド200mgを投与し始めた。私はナイアシンアミドを1gに増やし、ピリドキシン250mgを加えた。1972年10月18日までにははるかに良くなり、1973年7月23日にはほぼ正常になった。投薬を中止したら、悪化した。彼は1110 (3) - かなり改善と評価された。HODスコアは、1972年6月には高かったが、その年の10月には正常になった。多動性スコアは99から45に減少した。C.S.とG.S.の母親は、この家族の中で最初に治療を受けた。彼女は長年病気を患っており、多くの幻視、非現実感、妄想、途絶、抑うつ状態を訴えていた。彼女は私と会う1年前にナイアシンアミド300mg 1日1回を開始しており、かなり改善していた。ナイアシンアミドを1g 1日3回に増量したところ、彼女は4年半で元気になった。HODスコアは、彼女がビタミンを取り始める前は非常に高かったが、1972年5月31日までにはすべて正常になった。残りの2人の子たちは病気ではなかった。母親とC.S.、G.S.の回復は、病気の家族を正常な家族に変化させた。家族療法は必要なかった。


ひとりごと


(72)はあっけなく改善したケース。幼少期のエピソードはなかなかヘビーにみえますが、治療経過が早いですね。

その(72)の兄が(73)。じつはまずふたりの母親の幻覚妄想がビタミンで改善して、その後この2人の子どもたちがビタミンによる介入で改善したのだとわかります。親御さんにビタミンへの関心を持ってもらうことは影響が大きいのだなぁと改めて感じます。

新クリニックで外来を始めて1ヶ月で驚いていること。

外来開始からほぼ1か月


8月にクリニックでの勤務が始まって、ほぼ丸1か月が過ぎました。

ちょっと驚いているのですが、ビタミンやミネラルによる治療に関心を持っていらっしゃる親御さんが結構な人数いらっしゃるのです。


すでに親子で鉄剤サプリメントをのんでいらっしゃったり、お子さんにナイアシンやカルシウムを飲ませていらっしゃったり。


今は、コロナ対策ということで待合室に供覧用の本を置くのは控えているのですが、早く本棚に栄養療法の関連書籍を並べられたらいいなぁ、と思っています。


やっぱりもっと勉強しなくては…


この頃、暇さえあれば読んでいるのはこの本。

前の職場にいる頃から読もう読もうと思ってずっとデスクに置いていたのですが、どうにも進まなくて。メチレーションとか免疫系とか言われると、自分が理解して診療の中で還元できるなんて当時は全然思えなかったのです。


それが今改めて読んでみると、なぜかすんなり読めてビックリ。

ひとつひとつの説明がちゃんと抵抗なく頭に入ってくるのです。


たぶん、ビタミンについて学ぶうちに周辺知識もうっすら身についてきて、高かったハードルを超えられるような小さな階段がいつのまにかできていたのだと思います。


もっと勉強しなくちゃ!

自分が理解するのがやっとじゃなく、ほかの人にきちんとわかりやすく伝えられるくらいになりたい…!!


まだまだやるべきことは山積みですが、患者さんや親御さんからのニーズを日々感じられることに感謝です♪

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例70・71)

今日もひとり読書会。

きっとみなさんもう飽きてこられていますよね…ごめんなさい。

でも、どうしても早く読み終えたいのです!


読んでいるのはこちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例70・71)


・(70) D.R.:1961年10月生まれ。生まれた時から協調性がなく、文字や言葉を覚えることができず、イライラしやすく、いつも疲れているようで、朝はぼんやりしているように見えた。毎晩夜尿をしていた。彼の母親は統合失調症の回復者であり、父親もビタミンB3を摂取していた。ナイアシンアミド1g 1日2回とアスコルビン酸1gを1日2回飲ませた。1968年1月25日、はるかに改善し、時々夜尿はあるが疲れにくくなり、読書を始めた。その後、ビタミン剤を中止してプラセボを開始した。彼の目は痛くなり、過活動になり、いつも泣き言を言い始め、非常にせっかちになり、ほとんど進歩がみられなくなった。彼は特別支援学級へ連れて行かれた。1968年2月8日、ナイアシンアミド1g 1日3回 を再開した。5日後には再び改善し始め、はるかによくなったが、以前ほどの改善は取り戻せていなかった。1969年2月26日には、夏の間に彼は薬を捨て始めて夏の終わりには何も飲まなくなり、すぐにずっと調子が悪くなったことを除けば、彼は改善し続けていた。まだ学校では問題を抱えていた。1969年10月22日、ナイアシン1g 1日3回を試したが、1971年1月4日までには、さらにいくつかの改善があった。その年の残りの期間、私はディアナー(デアノール=アセチルコリン補給サプリメント)とリタリンを試したが、それらは助けになりませんでした。1973年4月12日に私はピリドキシン250mg 1日1回を追加し、ビタミンB3をイノシトールナイアシン1g 1日3回に置き換えた。1973年7月20日、まだ幻視がみられ、集中力は悪く、思考途絶があり、非常に忘れっぽかった。しかし、母親は彼をほぼ正常と考えていた。彼は0, 0.5, 1, 0.5 (2) - 改善と評価された。多動性スコアは47であった。


・(71) W.R.:1960年5月生まれ、W.R.の初診は1969年4月。生後9ヶ月間、下痢、貧血、栄養失調に悩まされた。適切な食事療法を開始した後、彼は非常に急速に発達したが、多動性、活発、活動的、睡眠不足があり、トイレトレーニングも遅くて生後20ヶ月までかかった。妹が生まれた後に退行し、再び失禁(ここでのsoilは「衣服を汚す」の意味か?)し始めた。彼が小2になる頃には、彼は失禁していた。私が会ったときは、週に3回しか服を汚していなかった。彼は常に筋肉の緊張状態にあり、ほとんど前かがみになることができず、スケートしても非常にぎこちなかった。雷や稲妻のことを恐れて頭がいっぱいで、頻繁に夢を見ていた。ナイアシンアミド500mgとアスコルビン酸1gとメレリル20mgを服用させた。1ヶ月後、彼はずっと幸福になり、緊張感がなくなり、従順でなくなり、服を汚すことも少なくなった。ナイアシンアミドを2倍(1g)にした。1969年7月2日までには、かなり良くなっていた。1973年8月23日、ジョン・ホッファーは彼の評価を1111 (4)とした。母親の話では、数ヶ月間投薬を続けたところ、劇的な改善がみられたとのことだった。しかし、彼は錠剤を飲み込むのが難しくなって投薬中止となったが、彼は好調なままであった。母親は再発の兆候がないか注意深く彼を観察していたが、その兆候はみられなかった。


ひとりごと


(70)のディアナーは初登場のように思います。このケースには効果がなかったようです。ナイアシンアミドナイアシンナイアシンイノシトールとB3変更があったケースで、完全に症状が消えたわけではありませんが、母親から見ると改善は大きかったのでしょうね。

(71)はおそらく赤ちゃん返りや便失禁のあったケース。雷恐怖や身体の過緊張もあったようですが、ナイアシンアミドは1gしか使わず、ピリドキシン酸も併用していないのに劇的な改善がみられたのは凄い!

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例68・69)

今日もひとり読書会、2ケース進みます。

はりきっていきましょう!


読んでいるのはこちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例68・69)


・(68) Ga.R. 1964年10月生まれ。彼は赤ん坊の頃に短気なかんしゃくに苦しんでいた。5歳で精神科医院に紹介され、1年間治療を受けた。彼はその後、正常に退院したが、母親は不安が強すぎると診断された。その後、彼は徐々に悪化し、母親は彼に対処することができなくなった。イライラしやすく、理屈は通らないが、学校では仲良くやっていた。頻繁に腹痛を訴えていた。私のオフィスでは、彼はとてもそわそわしていて落ち着きがなかった。ナイアシンアミド1g 1日3回、アスコルビン酸1g 1日3回、チアミン150 mg 1日3回、ピリドキシン200 mg 1日3回を投与された。2ヶ月後には改善がみられ、ほとんど腹痛もなく、自立的にもなったが、まだ母親にしがみつくことが多かった。1973年7月6日、私はB3をナイアシン1g 1日4回に変えた。8月には改善した。1973年8月30日、ナイアシンアミドに戻したが、誤って0.75g 1日1回しか服用していなかった。しかし臨床的には変わりなかった。彼の多動性スコアは1973年5月25日の77→1973年12月12日の53に減少した。


・(69) N.R.:1965年10月生まれ、N.R.の初診は1972年1月。母親は妊娠中に三日ばしかに罹っていた。N.R.は左耳が聞こえず、声や音の発信源を特定することができなかった。頻繁に腹痛、頭痛があり、夜も眠れなかった。少し多動で、癇癪を起こすことが多く、しつけにも反応しなかった。ナイアシンアミド2g 1日3回を開始した。吐気のため、3ヶ月後にビタミンを中止した。両親は変化なしと言った。1973年7月30日、彼女は0111 (3) - かなり改善、と評価された。時折、動物の幻覚を見たり声が聞こえたりした。行動スコアは1972年1月31日の57→1973年7月30日の35に減少した。


ひとりごと


(68)はナイアシンアミドナイアシンナイアシンアミドと変更のあったケース。特に嘔気などの副作用の記述もみられないのですが、変更するとき・戻すときの基準は何なのだろうと気になります。

(69)は副作用のためにナイアシンアミドを3ヶ月しか飲めなかったケース。それでも「かなり改善」の評価で、内服をやめて1年4ヶ月後の行動スコアも下がったままというのもすごいですね。

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例66・67)

今日もひとり読書会。2ケース読みです。

親子で治療を受けているケースを読んでいると、どっちがどっちの話なのか頭が混乱してきますね…。


読んでいるのはこちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例66・67)


・(66) L.R.:1959年3月生まれ。彼女は夜、目を閉じれば見えなくなる顔や銃、ナイフなどの幻覚をときどき見ていた。それが現実ではないことは知りながら、それでもまだ恐れていた。非常に神経質で、しばしば早口で、とても過敏になっていた。ナイアシンアミド1g 1日3回を開始した。1971年8月には改善したが、まだ活発すぎた。1972年1月、1ヶ月間ビタミン剤を止めたところ、再発した。ナイアシンアミドを再開するよう勧め、ピリドキシン250 mg 1日1回を追加した。1973年8月14日にジョン・ホッファーは彼女の健康状態を確認し、1111(4)、正常と判断した。彼女は6ヶ月間何も服用していなかった。


・(67) Ge.R:1967年10月生まれ、1973年3月に初診。彼は生まれつき多動だった。特別支援学校は何の役にも立たなかった。家庭の状況は耐え難いものとなり、後に統合失調症と診断された父親は家を出て行った。父親はレジーナに留まって治療を受け、Ge.R.と母親はサスカトゥーンに引っ越した。ナイアシン1g 1日3回とピリドキシン250mgを投与した。1973年7月30日、彼は少し良くなったが、彼は0000、改善なしと評価された。1973年12月7日、父親はまだ息子がビタミン剤を服用していると報告した。多動性スコアは、1973年7月30日までに107から85に減少していた。

父親は、息子が自分自身のための予約を取ろうとしたという変化に十分感銘を受けた。ナイアシン1g 1日3回とアスコルビン酸1g 1日2回が開始された。1973年12月7日までにはほぼ正常になった。父親のHODスコアは、私が最初に彼に会ったときは全項目で高値だったが、この時にはすべて正常になっていた。


ひとりごと


(66)はこれまでもみられた、中断したら再発したケース。どうやら、よくなったと思ってから1年程度はビタミンを続けたほうがよいのかなという気がしてきます。このケースは再発後に約1年続け、そこから半年後によい状態を保てていたようです。

(67)は一体どこがお父さんに関する記述でどこが息子=Ge.Rくんの記述なのか、本当にわからなくなりました。家を出たはずのお父さんが本人のビタミン継続のことを知っているのも謎ですし、お父さんのHODスコアが2度評価されているならお父さんもビタミンを飲んでいるのか? と…。とりあえず、2度のビタミン量の記述はどちらもGe.Rくんに関する情報として取りました。