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こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

子どもの注意や行動の障害を治す:新たな症例の経過(1) 症例8・9、おわりに

しぶとく続けてきたひとり読書会、とうとう今日が最終回です!!!

9例目の後ろにある、筆者の結語に頭をがーんと打たれた気分です。


読んでいるのはこちらの本。


新たな症例の経過(1) 症例8・9、おわりに


・(8) J.T.:1984年1月生まれのT.J.は1989年5月に初診。彼は行動と言語発達の問題を主訴に紹介された。乳児の頃、耳の感染症を反復して苦しんでいた。生後10ヶ月で歩けるようになった。4回の予防接種の後、彼の不調は再燃した。生後17ヶ月の時、彼は最初の発作を起こし、ジランチンとフェノバルビタールを投与された。ひどい副作用があってデパケンに変更され、後にテグレトール100mg 1日2回に変更された。彼の最後の発作は1989年1月で、私が彼に会う4ヶ月前のことだった。彼に会ってみると、イライラしていて、気難しくて、不機嫌で、攻撃的で、落ち込んでおり、よく泣いていた。頻繁に風邪をひいていて、顔は青白く、目の下にくまができていた。乳製品を含まない食事を始め、砂糖の摂取量を減らし、ピリドキシン100mg 1日1回、アスコルビン酸 500mg 1日2回、ビタミンB複合体のリキッドを追加した。このプログラムを始めて4日後には、はるかに調子がよくなり、1989年6月22日までには正常になっていた。1995年7月にもまだ元気であった。


・(9) A.L:1984年1月生まれのA.I.は1995年3月1日に初診。生後6ヶ月まで母乳で育てられていたが、その後牛乳を与え始めたところ、ひどく便秘がちになった。10ヶ月までには歩けるようになった。4歳になると、彼の行動は非常に悪くなった。分別がなく、めまいがあり、そこら中を走り回り、親の言うことを聞かなかった。しかし彼は非常に聡明で、4歳の時には自由貿易のメリットについて議論していた。リタリン30mgを処方され、多動性を抑えることはできた。私が彼に会ったとき、彼は典型的なピンク色の頬と赤い耳をしていて、とても落ち着きがなかった。アクシデントがよく起こるため、数年間で27回も病院の救急外来に行っていた。母親が彼の食事から乳製品を除外しても改善は見られなかったが、砂糖を外すと彼ははるかによくなった。私は彼にビタミン療法を始めた。1995年4月4日、新しい眼鏡をかけると行動が改善された。6月20日、彼はよくなっていたが、定期的にはビタミンを摂取していなかった。1995年7月20日、母親は彼の改善を喜んでいた。家出もしなくなり、反応もよくなり、落ち着いていて、6年生をB平均で修了した。まだリタリンを飲んでいたが、私はナイアシンアミド1g 1日3回のフル用量を投与して彼のリタリンを減らす計画を立てている。



【章の最後に】


私が最初にこうした子どもたちの治療を始めた1960年以来、私の臨床経験が証明し続けているようにオーソモレキュラー治療や栄養療法は明らかに学習や行動障害を持つ子どもたちが受けられる最高の治療法だ。過去40年間で私は14歳以下の子どもたちを少なくとも1,500人以上診てきた。治療の結果は依然として良好であり、子どもたちのほとんどは回復し、通常の生産的な生活を送ることができるようになった。これは、彼らが家族や地域社会とうまくやっていけるようになって、最初に私のところへ受診した際の病気から解放され、社会で生産的な役割を果たすことができるようになったということを意味している。


この治療は、これらの方法で訓練を受けた医師であれば誰でも行うことができる。特別な技術は必要ないし、ほとんどの患者さんには精神科治療は不要である。実際、もし精神科医からアメリカ精神医学会に愛されている50の無用な診断用語のひとつでレッテルを貼られて、古い治療法である覚せい剤リタリンで変わらず治療されることになるのが必然という古めかしいアプローチを使おうとしているならば、子どもたちは精神科医に会わない方がいいと考える。しかし、親はこの栄養学的アプローチを喜んで実行しようとする医師を見つけるのに苦労するだろう。何十年にもわたる偏見や先入観、何十年も続けてきた誰かへの非難、何十年も親や社会のせいにしてきた経験を克服するのはとても難しいことだ。


このようなお子さんを持つ親御さんは、できるだけ多くの本を読み、かかりつけ医に相談してみてほしい。担当医が分子栄養医学的治療に興味がない場合は、誰かひとり見つけるまでドクターショッピングする必要がある。一度医師の関心を喚起することができれば、非常に良い結果が得られるので、熱心な治療者になってくれるまで時間はかからない。栄養素を用いた治療は一夜にして結果が出るものではないので、多くの場合親も医師も非常に忍耐強くなければならないが、最終的にはどこにも導いてくれない薬物療法の迅速な反応と比較すると、もっとずっとエキサイティングな改善が時間を掛けて着実に得られる。薬物は必要に応じて控えめに使用し、食事や栄養補助食品に十分な反応を示すようになったらすぐ使用中止しなければならない。子どもたちの健康は、医師や製薬会社の金銭的利益よりも優先されなければならないのだ。


ひとりごと

とうとう新たな症例9ケースと結語まで読み切ることができました!!

(この続きの章は各栄養素を多く含む食品のリストが延々続くので、ひとり読書会で読むのは割愛します。)

シンプルに表現するなら「ADHDの診断をつけてメチルフェニデートを出すだけの精神科医なら会う必要はない」と言い切ってある結語は、これだけの臨床経験に裏付けられた確信なのだなと心を打たれます。

栄養による治療を受けたいという希望を持って受診されるお子さんや親御さんの期待に答えられる医師でありたいと私自身も強く思っています。


個人的興味で続けてきたひとり読書会に長々とお付き合いくださったみなさま、本当にありがとうございました!!


(完)

子どもの注意や行動の障害を治す:新たな症例の経過(1) 症例5-7

しぶとかったひとり読書会もいよいよ終了目前。

今日は3症例読んでみました。ワクチンの話がいっぱい登場します。


読んでいるのはこちらの本。


新たな症例の経過(1) 症例5-7


(5) T.A.:1985年10月生まれのT.A.は1987年11月5日に初診。生後21ヶ月で百日咳ワクチンを接種された。間もなく発作を起こし、背中を曲げて10日間叫び続けました。大発作の後、4日間入院し、その間痙攣発作を起こし続けた。薬物療法が開始され

、ジランチン50mg 1日2回、テグレトール300mg 1日1回、クロバゼパム 20mgとクロラール300~500mgを就寝時に、必要に応じてハルシオンまたはネンブタール、必要に応じてロラゼパムを投与された後に私が診察すると、毎日2回の発作が続いており、大抵彼女は寝ていた。今や精神障害があり、歩行器でも適切に歩けず、ヘルメットを着用していたが、身体的不自由がありつつも多動だった。彼女は71ヶ月で歩き始めた。トイレトレーニングもできていなかった。私は砂糖と乳製品を含まない食事を始め、ブロンズ社のビタミン・ミネラル混合物 3錠を1日1回、アスコルビン酸500mgを1日2錠、タラ肝油をティースプーン1杯、ピリドキシン100mgと葉酸1mg 書く1日1回を追加した。6週間後、彼女ははるかに良くなり、歩行器なしで歩けるようになり、ヘルメットも必要なくなった。彼女は赤ちゃん言葉を話し始め、多動性も発作も少なくなった。1988年1月5日までにの4週間、発作が出なかった。両親はテグレトールを抜き始めた。鎮静剤なしで眠れるようになった。1988年10月31日、両親は彼女が非常にうまくやっていると私に言った。1989年4月、彼女はデパケンを投与され、6月にはてんかんを起こすようになった。デパケン濃度は正常値の2倍でした。突然中止となって発作が悪化したので、再度投与してから漸減された。小児病院の医師は、両親が彼女を虐待し、発作について嘘をついていると非難した。家族は担当の神経科医を解雇したが、直後にソーシャルワーカーが彼女を確保して病棟を用意した。彼女は入院になった。病棟では、彼女がビタミンを取ることは許可されなかった。最後に私が聞いたのは、家族がが彼女を解放するため弁護士を雇ったという話だった。家族は、彼女がこの数ヶ月間で獲得したものが入院中に消えてしまうことを非常に心配していた。ワクチン接種後に発作を起こす子どもは珍しくない。ひとりひとりの子がワクチン接種前に十分な量のビタミンCを摂取していれば、こうしたことはもっと稀になるだろう。フォローアップできていないので、彼女を成功例だとは私は考えていない。彼女の治療は、あらゆる栄養学的アプローチに敵対的な医師によって中断されてしまった。しかし、とてつもない量の薬物療法が発作を止められなかった後に、ビタミンプログラムは発作を止めたのである。


 (6) H.M.:1982年10月生まれのH.M.の初診は1983年11月9日。生後5ヶ月頃には正常に発育していないことが明らかになっていた。筋肉は非常に弛緩しており、あまり動き回っていなかった。生後7ヶ月の時、ピークスクリニックで乳児性痙攣と診断され、プレドニンとACTHの投与が開始された。3歳と6歳の時に予防接種を受け、それぞれの予防接種後に悪化しました。脳波は異常で、発作が続いていた。最終的にはACTHを止め、プレドニンを減らした。私が彼女に会ったとき、食事の時以外はずっと寝ていた。それでも彼女は成長していた。手足は動かせるようになったが、寝返りは打てなかった。私はビタミンとミネラルの混合物とジメチルグリシン12.5mgを1日3回与え始めた。12月22日、インフルエンザにかかるまではかなり改善していた。1984年2月8日までには、発声もよくなり、発作もなくなった。1984年5月3日、一人で座ることができ、意識もあり、理解でき、母親の指示に従うことができ、哺乳瓶を持つこともでき、微笑むようになった。DMGを休薬しが、再発した場合は再開することになっていた。1984年7月5日、彼女は発作もなく、安定しており、体力もあり、ジャンパーを着て歩くことができた。発声もよく、両親も彼女の成長を喜んでいた。


(7) C.A.:1987年1月生まれの彼は1994年6月に初診。生後8ヶ月で左手の機能が低下していることが判明。1年後にはさらに悪化していた。このことを除けば普通に発達していた。3歳半で幼児期自閉症脳性麻痺があると診断された。それは胎内で脳卒中になっていたためと結論づけられた。毎年11月になると左手から目にかけて痙攣を起こすようになった。テグレトール900mgを服用しても発作は起きていた。ナイアシン100mgを1日3回、アスコルビン酸500mgを1日1回、ピリドキシン250mg、酸化マグネシウム420mg、亜鉛15mgを投与した。1995年2月までには彼は良くなり、着実に改善していった。

ひとりごと

症例(5)と(6)は、症状とワクチン接種との関連が強く疑われるケース。ワクチンを打っても平気なお子さんもたくさんいると思いますが、こういう症例を読むと盲目的にワクチンを推奨する姿勢を取ることにはやはり慎重でありたいと考えてしまいます。文中にもあるように「ワクチン接種前に十分な量のビタミンCを摂取していれば、こうしたことはもっと稀になるだろう」という情報も広めたいところですね。

症例(7)は胎児期の脳卒中と診断されたケース。それでも半年ちょっとビタミンやミネラルを続けるだけでどんどん状態が改善したようです。

子どもの注意や行動の障害を治す:新たな症例の経過(1) 症例3・4

週末はいろいろあって休んでしまいましたが、今日からひとり読書会再開です。

今日も興味深い症例がふたつ。


読んでいるのはこちらの本。


新たな症例の経過(1) 症例3・4


(3) R.G.:1992年12月22日生まれのR.G.の初診は1995年1月25日。両親は、彼女の発達の全般的な遅れを心配していた。彼女は4ヶ月間だけ母乳で育てられ、8ヶ月までに完全に離乳した。動作が緩慢で、寝返りを打つのも遅かったが、1994年9月に風邪が1ヶ月間長引いたあと発達が止まってしまってから両親は本気で心配するようになった。また、過呼吸になって地元の病院の救急外来へ一度連れて行かれた。その後、バンクーバーの小児病院で検査を受け、特に原因はないとされた。私が彼女に会ったとき、ちょうど椅子から椅子へと歩き始めた時期だったが、非常にぎこちなかった。動きに制限のある中で、多動のようにも見えた。自分で食事をすることはできるが、食べ散らかしていた。注目されることと喜んだが、抱っこされると非常に落ち着かず、引っ掻いたりを引っ張ったりする傾向があった。彼女は「ママ」と言うことができ、遊びに反応し、父親がある行動をすると笑っていた。慢性的な鼻水があり、これは乳製品を減らすと改善した。牛乳をたくさん飲んでいたのだ。りんごジュースを飲むと腹痛がした。皮膚に触れると赤くなった。爪に白斑があり、ピリドキシン亜鉛が欠乏のしている証拠であった。乳製品を使わない食事を与え、アスコルビン酸1g 1日1回、キレート亜鉛15mg 1日1回、子ども用処方のビタミン・ミネラル製剤を与えた。5月15日、彼女は一人で立ち、自分で歩けるようになったが、まだ不安定な状態が続いていた。発声も増え、成長も早くなった。両親は彼女の状態をまるで目を覚ましたかのようだと表現し、彼女の成長をとても喜んだ。1995年7月17日、鼻水はもう出なくなった。バナナとオーツ麦にアレルギーがあることが判明した。理解力は向上し、両親への反応も正常であった。彼女は20分間父親の腕の中で静かに横たわっていたが、こういうことは以前はできなかった。

5月15日にナイアシンアミド100mgを開始し、ジメチルグリシンDMG)50 mgを1日1回投与した。7月にはナイアシンアミドを500mg 1日3回に、DMGを50mg 1日3回に増やした。診察に来る数日前に、彼女はレット症候群の専門家である小児遺伝学者に診てもらった。彼は彼女のことをレット症候群の予後良好例に分類した。彼女がどんな疾患を持っているにせよ、栄養学的アプローチで大きな改善を示したことは間違いなく、おそらく今後も何年にもわたって大幅に改善していくだろう。


(4) J.D.:1980年9月生まれのJ.D.は1987年9月15日に初診した。彼はパークスセンターで乳児自閉症と診断されていた。難産で、5日間保育器を使用した。15ヶ月まで母乳で育てられていたが、それより前はミルクを与えられていた。生後13ヶ月で「ママ」という言葉を話すようになったが、3ヶ月後には言葉が出なくなった。生後18ヶ月の時点で、両親発達の遅れを心配していた。彼には周囲への反応がなかった。2歳の時、非常に高い熱を出した。2歳半の時、主治医と小児科医が診察し、正常であると判断された。プレスクール(幼稚園?)では、教諭は彼が変わり者だと気づき、7歳の時に自閉症と診断され、その後治療が行われた。私が彼に会ったとき、彼は話すことはできたが、容易に混乱するので非常にゆっくりと明確に話す必要があった。彼は一度にひとつの概念しか把握できなかった。メレリル25 mg を眠前に処方され、落ち着くことができた。よい精神状態を得ることはできなかった。夜中に鼻歌のような物音が聞こえると言った。私は彼の両親に、シュガーフリーで牛乳抜きの食事プログラムを行うよう助言し、ナイアシンアミド500 mg 1日3回、アスコルビン酸500 mg 1日3回、ピリドキシン250 mg 1日1回に亜鉛15 mgとカルシウム、マグネシウムを追加してB6による副作用を防ぐよう伝えた。 1988年2月9日には彼は落ち着いていて、指示によく従えるようになり、発話も改善した。一晩中眠れるようになった。1988年5月9日には、彼ははるかに改善し、感情的な反応もより適切になり、コミュニケーションを取るのも容易になった。1988年8月1日には、彼は1年生を修了し、算数は2年生のレベルになっていた。その1ヶ月後、学校でこれまでより落ち着きがなくなっていた。寝る前にイミプラミン25mgを追加した。1989年3月21日、母親は彼の進歩を喜んでいた。母親は2ヵ月前に彼をプログラムをやめてしまった。1989年4月6日、彼は脱落してしまったため、再びプログラムへ戻す必要があった。1年後、彼は通常の学校の3年生になった。1995年1月3日、8年生になり、成績はAとBであった。学校が好きで、友達とも仲良くしていましたが、孤独を感じていた。家では、より多くの友達を作っていた。彼はまだビタミンプログラムを続けており、両親は彼の進歩に満足していた。

ひとりごと

症例(3)はレット症候群のケース。「レット症候群があったとしても、栄養学的アプローチが有効だったし、おそらく今後も何年にもわたって大幅に改善していくだろう」という締めにはゾクゾクします。

症例(4)もコミュニケーションや精神症状がぐっと改善したケース。B6に加えて亜鉛とカルシウム、マグネシウムをしっかり摂るようにと明示してあったケースはこれまで少なかった気がしますが、忘れずにおきたいですね。

子どもの注意や行動の障害を治す:新たな症例の経過(1) 症例2

今日もひとり読書会、ここまで来たら最後まで到達したいです!

今日は長ーい経過のヘビーなケースですが、読む甲斐あり!でした♪


読んでいるのはこちらの本。


新たな症例の経過(1) 症例2


(2) C.M.:1994年5月17日、C.M.は母親と一緒にオフィスに来た。母親はC.M.について破壊的で口汚く、順応性がなく、激しい短気に悩まされていると表現した。この行動はとてもひどく、母親は彼女を手放すことを考えていた。彼女は3歳まで元気だった。それはその後、彼女が他の子どもたちとうまくつきあうことができないことと指摘された。その後、彼女は悪化した。2年にわたって児童精神科医によりテグレトールなど児童精神科医が使用する通常の治療を受けていたが、改善はみられなかった。1994年3月24日、精神科医は彼女のかかりつけ医に、初期にみられた改善は持続しておらず、ネガティブで反抗的な状態が続いていると報告した。彼はC.W.のケアに関わっている専門家のグループと会い続けた。学校は彼女に薬を飲ませることを望んでいた。しかし、彼女は薬物療法に反応しなかった。まだ行動障害を呈していると彼は書いていたが、明らかなADHDではなかった。私のオフィスでの彼女はひどかった。彼女は粗野で気難しく、暴力が出る寸前で、今にも私の家具を投げようとしていた。どんな会話も嫌い、私のことを嫌いだと言い続け、どんな治療にも協力しないと言った。私を凝視する彼女の目は怒りで血走っていた。もしも彼女の小さな手に銃を持っていたら、それを使ったことだろう。彼女は私を知る前から受診したがらず、私を恨んでいた。母親は いつもこのように振る舞っているのだと言った。テグレトール視覚障害を起こしたので 投与量を減らさなければならなかった。悪態のせいで2回停学になったことがあり、しばらくの間は多動だった。甘いものが大好きで、甘いものを手に入れると彼女の行動はすぐにずっと悪くなる。彼女の指の爪は白い部分があり、ピリドキシン亜鉛の欠乏を示していた。しばらくして彼女は悪夢を見ることを打ち明けた。常夜灯なしでは眠れなかった。部屋で何かが見えると母親に話していた。読みの障害があり、家庭教師についていた。非常にイライラしていて敵意があった。多動性スコアは99点だったので、私は乳製品を使用しない、砂糖を使用しないプログラムを開始し、ナイアシンアミド500mg 1日3回、アスコルビン酸500mg 1日3回、ピリドキシン100mg 1日1回、硫酸亜鉛の点滴を投与した。

6月21日には改善が見られなかった。彼女は5日間停学になっていた。まだ非常に敵対的で、私のオフィスで椅子を2つ投げつけた。就寝時にイミプラミン25mgを追加した。1994年9月20日、少し落ち着いていたが、まだ非常に怒っており、オフィスでの彼女の行動は非常にひどく、彼女にそこにいてもらうことに耐えられなかった。私はチオリダジン25mgを就寝前に追加した。10月26日に母親が一人で来た。娘はまた停学になったが、泣かずには登校できないとのことだった。12月にイミプラミンを2倍に増やした。かなりの改善がみられた。1995年3月9日、推論力が向上し、学校での成績もよくなり、些細なできごとが何度かあったが、まだ簡単に動揺してしまっていた。彼女から親しみを示し、私にポグ(?)を見せてくれた。6月23日、彼女の母親から電話があった。口角炎が痛むとのことだった。リボフラビンを追加し、ピリドキシンを500mg 1日1回に増やした。1995年7月13日、彼女は正常だった。彼女は5年生で、よい成績を取っていた。彼女は学校を楽しんでいた。その日、学校では西部劇のパーティーがあった。彼女はカウガールの衣装を着て、私と秘書のフランに喜んで見せてくれた。母親は娘は元気だと言い、彼女も調子がよいと言ったが、私もそのとおりだと感じた。多動性スコアは43と正常だった。砂糖と乳製品を排除し、正しいビタミンを加え、少量の精神安定剤と低用量の抗うつ剤を使用することで、この少女は子どもモンスターからフレンドリーで好感が持てる、学校を楽しんで友達も多く、成績も良好な魅力的な女の子に変身した。それによって彼女の家族全員の生活は一変した。

彼女は大量のケアにうまく反応せず、これまでそのケアによって彼女の行動は誘発されていた。彼女が3歳のときにビタミン治療プログラムを開始されていたとしたら、すべてのトラブルが発生していなかっただろうし、この州の医療費の請求書もはるかに低額になっていただろう。彼女はハイド氏からジキル博士に変換されました。1-2年のうちには、2種類の薬をやめて、ビタミン剤とよい栄養のみの治療となるだろうと考えている。

ひとりごと

今日の症例は長かったので1例だけ。ホッファーが自分のオフィスにいてほしくないと感じるほどのモンスターが魅力的な女性に激変する過程、本当に凄いと思います。向精神薬もいろいろ併用していますが「1-2年のうちにビタミンのみの治療に持っていけるだろう」という見通しも心強いですね!

子どもの注意や行動の障害を治す:新たな症例の経過(1) 序文・症例1

今日はひとり読書会、ちょっと久しぶりの再開。

いよいよ今日から結語の章に入ります。

より最近のケース紹介が10例ほど続きますよ!


読んでいるのはこちらの本。


新たな症例の経過(1) 序文・症例1


・新たな症例の経過

20年前に効果があった治療プログラムは今日でも効果がある。食物アレルギーが果たす役割についての認識が高まっているため、おそらくはなおさらであろう。しかし、1970年に得られた結果が当時にだけみられた奇妙で再現性のない一連のできごとに起因するものではなかったという事実を立証するため、私の最近のケースのごく一部について書いておく。

私がブリティッシュコロンビア州のビクトリアで診療を始めた1976年以来、私は500人以上の子どもたちを診てきた。これらの子どもたちは、これまでの治療結果を目の当たりにした家庭医たちから私に紹介されてきた。彼らは当初は非常に懐疑的で、家族からの圧力に屈して紹介してきているだけだった。しばらくすると、彼らは自ら紹介してくるようになった。

ここでは、オーソドックスな治療に失敗した子どもたちだけを紹介する。彼らは治療のうまくいかなかった特殊な集団である。過去の治療歴のない子どもたちの方がはるかに早く治療に反応する。私は、これらの子どもたちを助けることに失敗した精神科医の専門能力を批判しているのではない。もし彼らがオーソモレキュラープログラムを使えば、彼らも同じように成功するだろうし、患者の子どもたちと一緒に過ごす時間も短縮できるので、より多くの患者を治療することができるだろう。


(1) W.E.:1967年生まれのW.E.の初診は1982年6月。W.E.は何も問題を感じていなかった。両親は、彼の行動が悪化していることと、幼少期からのお菓子への欲求が強すぎることを非常に心配していた。彼は家出をするようになった。9回目の家出で警察が呼ばれた。また、知能が高いにもかかわらず、学校での成績が悪化していた。彼は勉強したくなかった。多動性スコアは75点だった。私はシュガーフリーで土曜日のみジャンクフードOKのプログラムを開始した。彼は好きなものを好きなだけ食べられる土曜日まで、砂糖を一切食べないようにした。ナイアシンアミド 500mg 1日3回、アスコルビン酸 500g 1日2回、ピリドキシン 250mg 1日1回、硫酸亜鉛 220mg 1日1回を投与した。一ヶ月後、彼は少し改善し、よりリラックスしていた。彼はもう土曜日のジャンクフードも食べないと決めた。1995年6月27日、母親が彼女自身の問題について私に相談に来た。彼女は息子は順調だと言った。看護師になろうとしている女性と交際中で、彼はよく働き、フルタイムで雇用されていた。彼の現在のスコアは1111 (4)、正常である。

ひとりごと

1970年代のケースばかりだった110症例を終え、より新しいケースを読み始めました。ホッファーが行っている治療は同じですね。

「もし他の精神科医たちがオーソモレキュラープログラムを使えば同じように成功するだろうし、患者の子どもたちと一緒に過ごす時間も短縮できるので、より多くの患者を治療することができるだろう。」という言葉は重いなぁと感じます。

【教えてください!】思春期のPMSと産婦人科受診

110ケース読みが終わり、小休止


強迫的なまでにコンプリート目指して読み続けていたひとり読書会の110ケース。

読み終えてちょっと気が抜けて、小休止を取ってしまいました。


またぼちぼちとブログ&残りわずかなひとり読書会を再開していきたいと思います。


最近の関心事は、思春期女子たちのPMSへの対処法


ここ数日で診察室でPMSや月経困難に関する相談を立て続けに受けたことで、以前から自分の中のテーマにしたいと思っていた月経関連の過ごしづらさへの対処への熱がまた高まってきました。


ずっとさぼりがちだったはてブロ移転前のブログでも、ブログ再開時にこんな宣言もしていましたっけ。



思春期の女の子の産婦人科受診、どうしていらっしゃいますか?


ときどき記事を書かせていただいている「高校生.com」にも投稿したのですが、重い月経やPMSに悩んでいる女の子を産婦人科に積極的に紹介することにちょっとためらいを感じてしまっています。

「気分や身体は楽になったらいいなと思うけど、産婦人科はちょっと…」というお声を聞くことも多くて、それもそうだよなぁ…と。



産婦人科を受診された方、迷ったけど行かない決断をされた方などなど、産婦人科受診に対する思いを教えていただきたくて、Twitterでもアンケートを実施中です。



ぜひぜひご意見お聞かせください!

コロナの逆境に負けていない大学生さんたち。

大学生さんたちの苦悩

今の職場に移ってから受診してくださるお子さんの平均年齢はぐっと下がりましたが、それでも大学生さんの受診もぽつぽつあります。

そこでよく話題になるのが、オンライン講義のこと。
ほとんど大学へは行くことがなく、スマホやPCからリアルタイムのオンライン講義や先生が録画された動画での講義を受けたり、課題提出もオンラインだったり。

友達には会えないし、講義内容や課題にわからないことがあっても先生にも同級生にも気軽に聞きづらいし、ネット経由で送った前期テストの感触すらわからないし、卒論の相談もままならないし、などの声をたくさん聞いています。

特にかわいそうなのが、1年生。
そもそも入学式すらなかったとか、まだ同級生と喋ったこともないとか。
「本当に入学したのか不安になりますよ」と教えてくれた子もいました。

ううむ、コロナの影響はなかなか消えてくれませんね。

逆に、オンライン万歳! なことも

それでも、ときどき「大学がオンラインになってすごく快適!」と話してくれる人もいるんです!

わざわざ登校しなくてもいいから講義時間ぎりぎりまで寝ていられるし、着替えも化粧もしなくていいから楽、とか。

動画講義は早送りで観られるし、聞き漏らしても何度でも巻き戻せるからむしろ理解しやすい、とか。。

レポート課題はテキスト入力して送信するから、友達と分担してLINEで交換し合えばひとりあたりの負担は軽くて済む、とか。

…おおお、なんてポジティブ!
この逆境をむしろ上手に活用するたくましさに惚れ惚れします。

不便な状況からの回復が待ち遠しい!

逆境を楽しんで乗り切る彼らの姿勢は私自身もしっかり真似したいところですが、校外実習が先送りになっている学生さんやゼミで相談して論文を仕上げないといけない学生さんのことを思うと、やっぱりずっと今の状況が続くのが好ましいとは思えなくて。

早くこの自粛モードが収束するといいなぁ…と願っています。

後期から多少状況が変わりそうな大学もあるみたい。
みなさんにとって過ごしやすい大学生活が早く始まりますように…!!