ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

「我が子を治したくない親」ってどういうこと?

治したい親と治したくない親

治そう発達障害ドットコムの記事「治したい親と治したくない親の違い」を読んでちょっと考えたことがありました。

子どもの障害や苦手を治したい・改善したいと思う親がいるのはとてもよくわかりますし、実際何人もお会いしたことがあります。

でも、「治したくない親」にはまだ私自身は出会ったことがないような…もしかしたら、それはとてもラッキーなことなのかもしれませんが。

もちろん親御さんの「何とかしたい」という思いが空回りして、結果的にお子さんの状態が改善するのを遅らせてしまっているように見えるケースにはちょくちょくお目にかかります。先日の円環的因果律の記事とも繋がる、親子間・家族内の悪循環ですね。

でもそれは「治したくない親」とはまた違う気がするんですよね。

私の親は治したくない親だったのか?

なぜ「治したい親・治したくない親」のことが気になっているのかというと、この2日にわたって自分の過去を振り返ふことが、「果たして私の親は治したくない親だったのか?」と考える機会でもあったからです。

生まれつき人から障害と呼ばれる状態があって、物心もつかないうちから定期的に病院通いをして、なんとなく「自分の手は生まれつきみんなのようには動かない」ことは理解していて。
当時未就学児の私が、担当医に対して「もっとよくなる方法ってないんですか?」なんて疑問をぶつけるわけないのは当然と思うのですが、私の両親はどう考えていたのだろう…と。

大学病院の薄暗い廊下、濃いグレーのリノリウムの床、廊下の両側に平行に並んだベンチにズラリと並ぶ患者さん。そんな光景を今もはっきり覚えています。
予約を取って午前中に受付しても「診察は午後になるのでお昼を食べてきてください」と毎回言われる外来受診。
私自身も待たされすぎてうんざりした気分で受診待ちをしていたのを覚えていますが、親だって相当面倒で大変だっただろうな、と今になって思います。
それでも定期的に予約を取って毎回きちんと連れて行ってくれていました。
入院中だって何ヶ月ものあいだ、日中の付き添いはもちろん、折り畳みの簡易ベッド(なぜだか「ボンボンベッド」と呼ばれていた…一般的名称なのかな)でずっと寝泊まりしてくれていたし。

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でもそれって、私のことを治してやりたいと思ってくれていたからこそだと思うのです。
医療を信じて、先生の言うとおりにきちんと治療を受けさせようと思ってくれていたからこそだと。

そしていつだったか、「役場から障害者手帳取りませんかと何度も勧められたけど、断ったのよ。あの頃は手帳を取る人も少なかっただろうし、何人に取得してもらったって実績が欲しかったのかしら」と母に聞かされたことがありました。
これも母が「治したい親」だったことの表れかもしれません。

治したい親でも治せなかったのはなぜ?

私の親はたぶん「治したい親」だったと思います。
でも、私は手放しで治ったと喜べるほどよい状態にはなっていない…それはなぜか? と考えてみて、ふたつの理由に思い当たりました。

ひとつは、医科学の発展自体がまだ進んでいなかったから。中枢神経系が再生することも分かっていませんでしたし。

もうひとつは、今のように誰もが書籍やインターネットから治療に関する情報にアクセスできる時代じゃなかったから。
当時は今以上に、その時点で医師が持っている知識が最高かつ唯一の情報で、それを信じて忠実に従うことが患者や家族にできる最大の努力だったのだと思います。
医師が「これ以上治せない」と思ったらそこが全員の目標の上限になる…今もそういう傾向はありそうです。

そう考えると、「治そうとする・しない」は親よりもむしろ医師側の要因と言えるのかもしれません。
医師から「一生治りません」「これ以上の改善は見込めません」と宣言されると、それが最終宣告になってそれ以降の思考がストップしてしまいかねないということ。

だからこそ、「治りません」宣言をすることにはとても慎重でいたいのです。
少なくともそこに「薬物療法など、今の標準の医療では」という断り書きをつけたい。
そして、「でも、日常の中で改善していけることもあるかも…という知見が集まってきていて、興味がおありなら情報提供できますよ」とお伝えすることができれば、治したい親のニーズに応えることもできる。

今は親御さんの方が先に新しい知見を見つけていることも多いのですが、勇気を出して親御さんからそれを話題にしてくださったときには「それはインチキ! 反医療!」と斬り捨てたりせず、自分の持っている知識に照らして助言ができたらいいなと思っています。


…うーん、結局「治したくない親」とは「治る・改善する未来をイメージするチャンスや情報に恵まれてない親」なのかなぁ。今後実際に「治したくない親」と対面することがあったらまた考察してみたいです。