ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

驚き! ADHDに薬物療法は無力なのか…

毎日じわじわ噛みしめる

最近はこの本の続きをハラハラしながら読むのが楽しすぎて…。
驚愕の内容もあれば、我が意を得たりと思うところもあり、ずっと惹きつけられ続けています。

今日は第五章。
「薬漬け治療の実態」、怖すぎるタイトル!!
これまでのレビュー投稿はこちら。

第五章「薬漬け治療の実態」

ADHDの診断は客観的評価ではなく、簡易な質問紙式のスクリーニング検査だけで事実上診断がつけられているケースも少なくない。その項目は少し元気な子どもならたくさん当てはまるようなもので、ひとつとしてとりたてて異常といえるようなものはない。すべて程度問題で、それも極めて主観的なものだ。

まったく同感。あの形式で、みなさんどうやって自信をもって診断していらっしゃるのだろうとずっと疑問で、でも口にするのも何となくはばかられて…で過ごしてきてしまいました。

過剰投薬への懸念という観点から問題視されてきたのは、リタリンを開発したスイスのチバ社の営業戦略。単に薬を売り込もうとするのではなく多動症という障害自体を世に広め、薬によって劇的に改善することを医師や研究者も巻き込んで様々な方法で啓蒙した。一般向け出版物、映画、PTAの会合資金投入までしたことは後に問題となり規制を受けたが、リタリン使用は増え続けた。

そんなことがあったとは知りませんでした…『発達障害バブルの真相』第3章を思い出しながら読みました。

メチルフェニデートは副作用の食欲低下による成長への影響、生殖器の成長の遅れなども懸念される。さらに青年期ラットの実験ではメチルフェニデート投与により社会的な遊びが見られなくなったという研究もあり社会性の発達などへの影響も危惧される。

低身長や低体重の話はよく効きましたが、生殖器の成長まで影響があるのですね…。そして動物実験の結果からは社会性や社交性への影響も危惧される、と。慎重に使用せざるを得ないと感じます。

依存性については、急激に血中濃度を上げない剤型で依存の問題も含めて安全性の高まった徐放製剤コンサータの誕生が、爆発的な普及に一役買っていると言えるだろう。しかしアメリカを中心にメチルフェニデートの乱用は問題となっている。学生たちが認知機能や成績向上のために使用することも少なくないようだ。筆者もADHD 特性が見られない小中学生が成績向上の目的で自ら処方を希望するケースを経験している。

学生たちが成績向上のために?! そんな使われ方もしていたのですね。小中学生まで自ら希望するというのも怖い話ですが、中学受験や高校受験が激戦になる都市部ではあり得る話なのかなと思いました。

長期予後を調べた研究では、初期治療終了時には薬物療法が最も顕著な改善を示していたが、3年後にはその優位性は見られなくなり、6年後・8年後にはどの治療法を選択しても効果に有意な差はなかった。予後がよかったのは、スタート時点でADHD症状や行動上の問題が軽度、IQが高い、両親が離婚していない、経済的に裕福な子どもたち。治療法より障害の程度や家庭環境が長期的結果に影響していた。また、薬物療法を行った群ではうつや不安の症状が非薬物療法群より4倍多かった。

6年以上経つと薬物療法の優位性はない、薬物よりも予後に大きく影響するものがある、薬物を使うとむしろうつや不安などの症状が出やすい…薬物療法を行うメリットって何なんだ?と頭を抱えたくなります。児童期の2-3年を目途に「卒業」できるような計画をお子さんや親御さんと最初から共有しておくようにしたいと思います。

別の研究では、一旦始めた薬物療法を中断するとむしろ悪化する、長期間服用し続けても食欲低下などの副作用は持続する傾向がある、などもわかっている。児童期に一時的に有効でも、思春期以降など長期的な効果はまったく期待できない。

一度服用を始めるとやめにくいというのも難しいところですね…。

臨床医としての経験に照らしてみても、薬を使うか使わないかよりも家族や教員などの周囲の支え、適した進路や職業に出会えるかといった他の要因のほうが重要だ。薬を使うとしても、服薬が最終的な問題解決に導いてくれるわけではないことを認識し、服薬終了後への備えや本人の特性を生かす取り組みをしっかりと行っていくことが大切になるだろう。

これも完全同意。理解者との出会いや関わり、自分が自信をもって取り組めることを見つけること、とっても大事だと思います。ここも本人や親御さんと共有したい認識ですね。

成人と児童にメチルフェニデートプラセボを服用させた研究では、成人ではプラセボに対する反応が大きく、児童のような有効性は得られにくいようだ。

成人への安易な処方はすべきではない、ということですね。

コクラン共同計画で2014年から行われた成人ADHDに対する薬物療法は、非常に効果が高いという結論で締めくくられたが、その後複数の異議申し立てを受けて論文が取り下げられる事態となった。研究者たちに製薬会社から巨額の資金援助があったことが後に明らかになった。

あらら、あの信頼性の高いコクランレビューでさえ製薬会社さんの影が…。
やはり思い出すのは『発達障害バブルの真相』ですね。

この先がまた読みたくなる…

この章はこんな形で締めくくられています。

ADHDの過剰診断・過剰投薬に疑問を持ち再考の必要性を感じる専門家も増え始めている。ただ、診断された成人の大部分が疑似ADHDだったとしても、本人が苦しんでいるのは確か。急増する子どものADHD診断と、それに翻弄される親や教師もいる。彼らを前にADHDの診断や薬物療法は無力だが、問題の根源は何なのだろうか。

はい、本当にごもっとも!
ADHDっぽい症状に悩む大人も子どももいて、そんな彼らにADHDと診断してコンサータ等を処方すればよい、という話ではもはやなくなってきました。じゃあ、医療は悩める大人・子どもに何を提供できるのか? この先を読み進めたらヒントが見つかるのかな。楽しみです!