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こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例18-21)

ひとり読書会、症例紹介が続きます。

今日も安定の4ケース。継続は力なり。

ひたすら110ケースの詳細を読み進めますよー!


読んでいるのは、こちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例18-21)


・ (18) And.C.:1962年4月生まれ、And.C.の初診は1972年7月。彼は弟が苦もなくできていたパズルを完成させることができなかったので、彼が2歳半のときに彼の母親は心配し始めた。三角形と正方形の区別がつかなかった。歩き始めたのは生後19ヶ月。3歳の時、医師は彼が母親に依存しすぎていると判断した。4歳の時、彼は精神科医院で評価を受け、微小脳障害と診断されました(今は使われない用語)。彼のIQは50だった。私が初めて彼に会ったとき、彼はリタリン20mgを2年間服用していたがほとんど反応がなかった。私は彼にナイアシンアミド1gを1日3回とピリドキシン250mg 1日1回を始めた。一ヶ月後、彼は改善した。より自立し、夏の間に釣りも覚えていた。11月までにはずっと大きく改善した。社会的にもとてもよくなり、兄弟姉妹が一緒に遊びに行こうと誘ってきた。そんなことは一度もなかった。1973年2月には、彼は4週間のうち3週間は普通になっていた。1973年7月5日のジョン・ホッファーの評価も同じだった。ナイアシンアミドの投与量を減らす必要があったが、投与量を減らすと多動性が増加した。臨床評価は0110 (2) - 改善であった。1973年10月24日、彼はビタミンを摂れなくなったので、彼は再び悪化した。彼は非常に落ち着きがなかったが、学校ではまだよくやっていた。そのため、ナイアシン1g 1日3回を開始された。1973年12月31日、彼はリタリン10mgとナイアシン少量を服用したが、調子はよかった。彼の多動性スコアは1972年7月31日の87→1972年7月5日には51に減少した。


・ 19)Ri.D. 1961年5月生まれのRi.D.が初診したのは1968年10月。彼は青白くて病弱そうな子で、とても神経質なことが主訴だった。彼は1年生で落第し、再履修した。どんな活動にも参加せず、注意力も短く、いつも問題を起こし、愚かな振る舞いをしていた。協調性が悪く、読むのが遅く、書くときには単語を逆から書いたり、鏡文字になったりしていた。知覚に障害があって、常に人が自分を見ていると確信しており、人の頭が切り落とされる恐ろしい悪夢を見てはよく母親にそのことを話していた。時には床の上に幻影を見て、踏みつけて追い払おうとすることもあった。また被害妄想的で、自分の幻覚が本物だと信じていた。学習は非常に困難でした。彼はプラセボ対照トロール試験に参加し、たまたまナイアシンアミド1g1日1回とアスコルビン酸1g1日1回を投与された。1ヶ月後、彼の悪夢は幻覚も消え、学校では良くなったが、行動は変わらなかった。ナイアシンアミドの投与量は500mgを1日3回に変更された。1969年1月7日、母親によると彼は調子が良かったが、翌月には再び悪化した。ナイアシンアミドは1g1日3回に増量されたが、幻覚は再発していた。1969年1月7日にメレリル25mgを就寝時に投与し、1973年6月4日には50mgに増量した。1970年12月31日から1970(71な気がする)年9月24日までは、6月に薬を隠して退行し始めた時期があったことを除いて、彼は改善を続けた。1979年9月24日、彼はプラセボ投与を開始したが、3日後に急速に恐ろしいほどに再発した。彼はすぐにビタミン剤に戻された。1970年末までには彼の行動は正常化していたが、まだはっきり話すことができず、協調性も乏しかった。私はナイアシンアミドを5g 1日1回に増やした。1972年4月、彼の母親は、彼がほとんど改善したと思っていたが、1973年3月には、彼は再び規律の問題を抱え、学校で悪いことをしていた。ジョン・ホッファーは1973年7月4日に彼に会って、改善されていないこと気づいた。自分の意思で幻覚を見ることができ、被害妄想的で、読書や集中力に難があった。彼は学校では辛うじてやっていた。このビタミン処方に従わないときはいつでも、彼は愚かな行動をとっていた。1973年9月5日、彼は情緒障害児のための特別支援学級に登録された。多動性のスコアは81であった。1973年12月26日までには多くの自信を得て、知覚症状から解放されたが、まだ社会的に無能であり、人々とうまくやっていくことが困難であった。彼にはナイアシン1g 1日3回、ピリドキシン500mg 1日3回、亜鉛マンガンサプリメントが与えられた。分子栄養学的精神科医が、尿中にクリプトピロールがみられる子どもたちにとってピリドキシン亜鉛が非常に重要であることを認識するようになったのはこの頃だった。1971年10月に検査を受けたところ、尿中に大量のKPが排泄しされた。


・20)Ro.D. 1959年12月生まれ、Ro.D.の初診は1969年3月。Ri.D.の妹だった。彼女の母親は私が担当した回復後の統合失調症患者で、娘がが幻覚を見ていると打ち明けたため、彼女を連れてきた。悪夢の話をしてくれたが、部屋に動物がいて猿が尻尾でぶら下がって自分を見下ろしながら名前を呼ぶのを聞いたという。何かに噛まれるのを感じたこともあった。数学が問題で、彼女は集中することができなかった。惨めで落ち込んでいた。私が会う前、母親が彼女にビタミン剤を投与していたが、数週間で幻覚は止まった。私はナイアシンアミド500mgとアスコルビン酸500mgを服用させた。彼女の尿にはクリプトピロールが含まれていた。1969年12月31日までには回復した。1970年9月12日、私は彼女のビタミン剤をプラセボに切り替えた。数週間後、彼女は頭痛、不眠、幻視を訴え始めた。ナイアシンアミドの投与を再開したところ、回復した。彼女は1972年3月まで彼女のビタミンを続けた。1973年7月4日にジョン・ホッファーが彼女を診察したところ、彼女は正常であった。彼女は以前の症状を覚えていた。1973年12月26日、彼女はまだ調子がよく、尿にKPはなかった。多動性スコアは1969年3月の87点→1973年7月4日には31点に低下した。臨床評価は1111 (4) -良好であった。


・  (21) A.E.:1965年8月生まれ、A.E.の初診は1973年3月。母親は長年のうつ病の後、メガビタミン療法で回復していった。彼女は極度の多動性を主訴に息子を連れてきた。彼は多くの幻視に苦しんでいた。影が人に見えたり、単語がページを上下に移動したり、文字が反転したり上下ひっくり返ったり、怪物の声が聞こえたり姿が見えたりした。彼は周囲の子が自分をからかっていると信じ、自分のことが好きではなく、誰かが自分を殺そうとしていると感じたことも何度かあった。彼は自殺願望を持って落ち込んでいた。彼にナイアシンアミド1g 1日3回、ピリドキシン250mg 1日2回、シュガーフリー食を始めた。2ヶ月後、彼はずっと良くなっていた。8月2日にジョン・ホッファーの診察を受けたところ、知覚異常はないもののまだ被害妄想があり、子供同士で接するのが困難であることが判明した。学校では、彼の成績は数日おきに良い時と悪い時が変動した。ビタミン剤を休むとすぐに再発した。彼の評価は1010 (2) - 改善、であった。1973年9月25日にナイアシン1g 1日3回を追加した。1973年2月26日の彼の多動性スコアは84→5月31日には53→8月2日には67→1973年9月25日も67であった。


ひとりごと


今日も症例4つ読んでみました。

回復後の統合失調症のお母さんが娘を心配して連れてくるケースもあった今回。クリプトピロールが2ケースで登場しましたが、どちらも悪夢や幻覚妄想を伴っていました。B3が、そしてB6と亜鉛も有効ということですね。