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子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例42・43)

ひとり読書会こまめに2ケースシリーズ、本日も読んでいきます。


読んでいるのはこちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例42・43)


・(42)B.I.:1963年10月生まれ、B.I.の初診は1972年1月。1971年12月、B.I.の母親が4年前からうつ病を患っていることを私に相談してきた。彼女は精神安定剤心理療法には反応がなかった。彼女は非常に恐ろしい多くの錯覚が見えると訴え、非現実感があった。彼女は被害妄想や途絶があり、彼女の思考は心の中を猛スピードで駆け巡った。記憶力や集中力は貧弱だった。分子栄養学的アプローチで改善し始め、1973年7月に7回のECTを実施した。1973年の終わりまでに彼女は元気になったが、少し緊張して落ち着かなかった。彼女は、家から離れると普通なのに、家では普通ではない息子B.I.について心配していた。家では兄弟と絶えず喧嘩をし、よく泣き、みんながいつも自分を見ていると不平を言い、幻覚を見たことも数回あった。ナイアシンアミド1g 1日3回とピリドキシン250mg 1日1回を投与された。しかし錠剤を飲み込むことができず、すべての錠剤を拒否した。1973年8月14日にジョン・ホッファーの診察を受けたが、変化なしであった。学校ではうまくやっていたが、家では行動が悪かった。母親は、すべての困難は自分と夫との間の宗教的な困難から生じたと考えており、真剣に彼にビタミン剤を飲ませようとはしていなかった。彼は0001 (1) - 改善なしと評価された。1973年9月11日に私は両親に会い、プログラムに従わせてみることで合意した。1ヶ月後、彼の家での行動はずっとよなった。その後、液体ナイアシンアミド1g 1日3回を開始した。彼の多動性スコアは、1972年1月19日に93→1973年11月15日に59へ減少した。


・(43) R.J.:1966年2月生まれ、R.J.は1971年2月に初診した。彼の母親は、長年の死への恐怖と、アルコールを過剰することでコントロールしてきた高い不安と緊張感のために、1969年3月に私の患者となった。彼女はアルコール依存症になって行動が異常になり、走り回ったり、ある時は夫以外の男性のために子どもたちを置いて家を離れる準備をしており、夫に止められたりした。その後、彼女はA.A.(註:アルコホーリクス・アノニマス)に入会し、3週間禁酒した。彼女は飲酒するずっと前から、幻視や幻聴を経験していた。彼女は非現実感を感じ、被害妄想があり、抑うつ状態に陥っていた。メガビタミンで改善し始め、うつ病以外のすべての症状が消失し、うつは1971年1月にECTを数回受けて改善した。彼女はその後元気だった。彼女の息子R.J.は、イライラして攻撃的で落ち着かなかった。彼の行動は母親に自分の子ども時代を彷彿させ、母親は息子も統合失調症になるのではと恐れた。R.J.は鮮明なモンスターの悪夢や幻覚を見ると言った。ナイアシンアミド1g 1日3回を投与された。1971年5月9日にはほとんど変化がなかった。彼は1973年7月9日にジョン・ホッファーの診察を受けたが、改善なしと判断された。学校ではうまくいかず、勉強は不安定で、成績は徐々に下がっていった。不眠があり、朝から疲れていて、笑うことも微笑むこともなく、時折破壊的な怒りに駆られることもあった。その後、ナイアシンアミドカプセル1.5g 1日3回にし、ピリドキシン250mg 1日1回を開始した。1973年9月5日までにわずかに改善し、恐怖心が少なくなったが、彼は味が好きではなかったので、かたくなにピリドキシンを服用しなくなった。1973年12月12日、彼はさらによくなり協力的になった。行動スコアは1970年9月22日には79→1973年7月9日には71とあまり変化はなかった。


ひとりごと


今日の2ケースは先に親御さんのほうが調子が悪いケースでした。

そして、錠剤が飲み込めない。ピリドキシンの味が嫌いで拒否…。ピリドキシンの錠剤は飲んでみるとたしかに強い苦味がすぐに溶け出してくるので、嫌がる気持ちはよくわかります。今回のケースはピリドキシン抜きでもそこそこ改善が見られましたが、症例(38)はピリドキシン抜きでは症状が悪化していましたね。必要な栄養はやっぱり人それぞれなのだな、と改めて感じます。