ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例50・51)

ひとり読書会こまめに2ケースシリーズ、いつのまにか50ケースを超えました。

110ケースなので、ようやく半分が見えてきましたね…。


読んでいるのはこちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例50・51)


・(50)L.L.:1963年1月生まれ、L.L.の初診は1972年12月。生後1年のうち9ヶ月間は疝痛に苦しみ、夜も眠れなかった。はじめから他の子とは違って、とても多動だった。鼻がいつも詰まっていて集中できないと訴えていた。暗いところで多くの幻覚、怪物や幽霊を見たり、薄暗がりでは祖母や母親の幻覚を見たりしていた。彼女は寝付けなかった。また集中できず、記憶力が悪く、ほとんどずっと緊張していた。彼女はナイアシン1g 1日3回は飲めなかったが、125mg 1日3回を摂ることができた。1週間後、彼女は好調だったが、その5ヶ月後、ビタミンをやめても調子よいままだった。1973年7月18日に会ったとき、ジョン・ホッファーは彼女は正常、つまり1111(4)と評価した。彼女はまだ少し過活動だったので、ナイアシンアミド1g 1日1回を開始するようにアドバイスした。彼女の多動性スコアは1972年12月27日の77→1973年2月19日に35に減少した。


・(51) B.L.:1964年7月生まれ。B.L.の父親は大学病院に4回入院し、自分自身が誇大型妄想性統合失調症であると診断した。どの精神科医からも自分の診断がどのようなものであるかを知らされていなかったため、彼は自分でこの病気について本を読むことにした。彼は私の診察を受けたいと希望して紹介状を書いてもらい、1969年後半に私は彼に分子矯正治療を始めた。短い入院による数回のECTも行った。その入院中に、彼はビタミンを摂り続けられるよう自分で精神科医主治医を説得した。その後、ゆっくりと改善し、息子にビタミンプログラムを開始したときにはよい状態が1年続いていた。息子のB.L.は、毛布の下に足で何かあるのを感じると言い始めていた。彼は文字を読めず、言葉を理解できず、目を閉じていると子どもや男性、時にはクモが見えた。学校では理由もなくよく泣いていた。ナイアシン1g 1日3回を投与し始めて1ヶ月後には、彼は正常になった。ジョン・ホッファーは1973年7月26日に彼に会い、正常であると評価した。


ひとりごと


ほんのわずかのナイアシン(とはいえ375mg/日ですね)が多動に著効した(50)。効果がないときも増量すれば改善したケースはこれまでにもありましたが、少量で有効なこともあるのがよくわかります。必要量には個人差があるということですね。

自らが統合失調症になり、独学で分子栄養医学にたどり着いた父親とその息子のケース(51)。やっぱり親が先に元気になるとわが子への介入のモチベーションも上がるのですね…それにしてもこのお父さんの探求心と行動力は素晴らしいと思いました。