ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例56・57)

本日もひとり読書会こまめに2ケースシリーズ。

このまま最後まで行けるかな…?


読んでいるのはこちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例56・57)


・(56) T.M.:1964年7月生まれ、T.M.の初診は1972年2月。とても知的な少年で、自分の困難を簡単に表現することができた。とても神経質で、学校での成績は一定せず、他の子たちとよく喧嘩をし、被害妄想的であった。1971年9月にサスカトゥーンに引っ越してから行動が悪化した。母親は彼を非常に多動だと表現した。彼には次のような知覚症状があった:単語がページの上に移動したりぼやけたりする、モンスターやドラゴンの怖い夢を見る、日中に目が覚めていても同じような幻覚が見える、「私は……の幽霊だ 」と名乗る声が聞こえる、など。これらは非常に恐ろしいものだった。彼は、自分があたかも夢の中に住んでいるかのようだと話した。思考は途絶し、自信がなかった。気分は落ち込み、自殺念慮があり、一度は自分で心臓を刺したいと思ったこともあった。ナイアシンアミド1g 1日3回とピリドキシン250mg 1日2回を開始した。2ヶ月後、彼は正常になった。すべての症状が消えた。1973年7月、ジョン・ホッファーは彼を1111(4)-正常と評価した。彼の多動性スコアは、1972年2月29日に89→1972年4月11日に49→1973年7月16日に35に低下した。


・(57) R.M.:1957年11月生まれ。5歳の時、彼は周囲の状況に無頓着で1分間くらい立って何かを凝視して呪文を唱えたり、しばしばその後排尿したりするようになった。非常に落ち着きがなく、ほとんど手に負えない状態だった。脳波では左前頭前野に局所的なてんかん性の突発波が認められた。毎日1~2回の発作があった。1967年に児童精神病院で診察を受けた。そこで彼は、目覚めたときに彼に立ちすくんでしまった恐怖の夢のことや、たとえば別の惑星から来た誰かになってしまうといった奇妙な感覚、そして全般的な不安や恐怖のために学校で非常にうまくいかないことを話した。彼は3年間、薬物療法心理療法を受けたが、学業成績はよくならなかった。1970年、彼はディランチン(フェニトイン)100mgを飲み始めた、というのも彼の父親の発作がこの抗痙攣薬でコントロールされていたからだ。彼に会ったとき、学校では白昼夢をたくさん見て、しばしば夢遊病になり、多くの幻視に苦しみ、レコードを聴くと母親が彼を呼ぶ声が聞こえ、現実感がなく、被害妄想的で敵対的で、幼い弟にとても乱暴だった。ナイアシン1g 1日3回、グルタミン酸1g 1日2回、シュガーフリー食を始め、ディランチンも継続した。1970年7月6日、呪文はほとんどみられなくなり、もはや行動上の問題はなかった。ピリドキシン250mg 1日1回を追加した。彼は改善し続けた。1973年8月15日までまだビタミンを続けており、非現実感はとても稀になり、まだ少しの呪文がみられ、4月に1回大発作を起こしたが、学校では改善し続けていた。1973年8月15日に彼はジョン・ホッファーによって評価され、彼は0010(1)、改善と評価された。本人は知覚症状を否定したが、HODテストでは知覚スコアが非常に高かった。彼はあまりエネルギーがなかった。学校を退屈だと感じていたが、10年生に合格した。彼には友人がほとんどいなかった。家では問題行動を起こさず、読書に多くの時間を費やし、誰とも交わることはなかった。1970年3月11日~1973年8月15日のHODスコアと行動スコアは以下の表のとおり。

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ひとりごと


自分で心臓を一突きしたいと言うほどの自殺念慮が収まったケースが(56)。ビタミンの効果は侮れませんね…。

(55)はてんかんの発作はが認められ、知覚症状もいろいろあったケース。完全な回復とは言えないかもしれませんが、数値の変化を見ると特に知覚症状が大きく改善していました。諦めずにビタミンで介入してみる意義は大きいかもしれません。