ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例64・65)

昨日一日空きましたが、今日はひとり読書会こまめに2ケース読みを再開します。

いちばん知りたい、ビタミンのやめどきについてちょっと考えさせられるケースも有りました。


読んでいるのはこちらの本。


確証のための情報(3)症例紹介(症例64・65)


・(64) P.R.:1963年7月生まれ、P.R.の初診は1972年8月。両親は、深刻な人見知りと学校での行動の悪化を心配していた。彼は集中が困難だとは認めたが、他の症状は否定した。彼を診察した児童精神医学の教授は、彼は正常で、明るく、想像力に富んでいると評価し、P.R.は彼の教師よりも知的であると確信し、学校での成績の悪さは教師からの注目の欠如が原因であると結論づけた。ナイアシンアミド1g 1日3回、ピリドキシン250mg 1日2回、アスコルビン酸1g 1日1回を投与し始めた。一ヶ月後、彼はよりリラックスし、初めて学校での学習に食らいつくようになった。1973年6月22日、着実に改善していた。多くの特異な食生活習慣がみられた。1973年7月19日、兄が溺死したことで非常に動揺していた。ジョン・ホッファーの診察では、0001 (1) 、改善なしと評価された。学校では落ち着きがなく、友達も少なく、仲間との関わりが持てず、従順でもなかった。両親は彼はよくなったと信じていたが、そうではなかった。しかし、学業成績は非常によかった。多動性スコアは、1972年8月10日の75点→1973年6月22日の49点まで少し低下し、1973年8月17日には61点まで上昇した。


・(65) C.R.:1960年7月生まれ、C.R.の初診は1971年1月。彼の母親は、メガビタミン療法で回復した統合失調症者で、3年半にわたって寛解状態であったが、学校での息子の遅れを心配するようになった。彼は恐ろしい夢を見て、入眠すれば消えていく怪しげな顔が見えると言った。単語はページ上を動き、ぼやけていた。背後から足音が聞こえたことがあり、自分の手や足があまりにも小さく見えた。自分は誰からも好かれていないのではないか、子どもたちに襲われているのではないか、と妄想していた。集中困難があると自覚していた。ナイアシンアミド1gを1日1回投与した。1971年8月までに改善し、1972年8月までビタミン剤を服用していた。ジョン・ホッファーは1973年6月に彼に会い、彼がビタミンを服用すれば調子がよいとわかった - すなわち、1111(4)であった。彼のHODスコアは知覚スコアのわずかな増加を除けば正常であった。


ひとりごと


(64)はジョンには改善なしと評価されたケース。ただ、途中経過は順調に思えるし、拾の兄が溺死すれば一時的に不調になっても仕方がないようにも思います。この後の経過が知りたいところです。

(65)もこれまで数回登場した、親自身が統合失調症をビタミンで治療したケース。いつも気になるビタミン中止時期について、このC.R.くん自身は調子がよくなって1年後までビタミンを継続したとありますが、ジョンの診察はさらにその1年後。「ビタミンを服用すれば調子がよい」の「調子がよい」のは1973年6月時点と思われますが、このときビタミンは中止していたはずで(知覚スコアも軽度上昇していますし)、「ビタミンを服用すれば」という条件が何を指しているのかがちょっと微妙…母親には学校で遅れがあるように見えたけど、ビタミンを使えば妄想も集中困難も消えたよ、という意味なのでしょうか。