子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例107・108)
今日もひとり読書会です。
いよいよ終了目前、残すところあと1日です!!
読んでいるのはこちらの本。
確証のための情報(3)症例紹介(症例107・108)
・(107)R.Y. 1960年5月生まれのR.Y.の初診は1968年3月。4人の息子のうち最初に診た子である。1967年の夏に行動上の問題を呈し、家では従順で、弟たちに嫉妬していた。学習ができず、電気をつけずに寝るのを恐れていた。恐ろしい怪物の悪夢を見た。神経質で、頻繁に短気を起こした。ナイアシンアミドとアスコルビン酸を各1g 1日1回投与した。4ヶ月後には改善した。彼の行動は正常化し始め、学業成績は上がり、2つAを取って3年生に進級した。しかしさらに落ち着きがなくなった。就寝時にクロルプロマジン75mgを追加し、ナイアシンアミドを1.5g 1日1回に増やした。3ヶ月後、彼の両親と先生によれば彼は正常だった。1969年3月26日、学校の平均評定は改善し続けたが、従順ではなくなっていった。ナイアシンアミドを1g 1日3回に増量し、クロルプロマジンを中止し、就寝時にイミプラミン20mgを投与した。1969年10月17日、知覚症状はなくなったが、他の子どもたちとの間に問題を抱えていた。生来の便秘は完全に解消された。1970年3月24日、抗うつ薬が中止となった。1970年10月27日、イライラしていた。1973年8月17日、ジョン・ホッファーは彼を1111(4)正常と評価した。彼は8年生に合格し、家庭でも学校でもうまくいっていた。多動性スコアは1973年8月14日に43点、12月14日には55点だった。
・(108)S.V.:1965年10月生まれのS.V.の初診は1970年12月。1歳まで座ることができず、1歳半で歩き始め、3歳までには話せるようになった。精神科を受診したところ、多動で恐怖心が強いことがわかった。精神安定剤を処方された。1969年12月に大発作を起こし、さらにその後痙攣を3回起こし、1970年7月に抗痙攣薬を投与された。発作は消失したが、病状は悪かった。疲れやすく、汗をたくさんかき、身体的に不器用で、まともに走れなかった。母親の話では、彼は幼い女の子に噛まれたと言っていたが、物音にとても敏感で、電車を診たり電車の音を聞いたりすると悲鳴をあげて泣き、逃げていた。とても内気で、話をさせるのが大変だった。私のオフィスへ来ても多動だった。まだトイレのしつけができていなかった。ナイアシンアミド1g 1日3回、アスコルビン酸1g 1日2回、そしてマイソリン(プリミドン:抗てんかん薬)250mg 1日1回を継続して投与した。2ヵ月後、彼の協調性は改善され、発話も明瞭になった。ナイアシンアミドを2g 1日3回に増やし、リタリン10mg 1日1回を追加した。膀胱と腸のコントロールを訓練するため特別なハウスへ入所した。高用量のビタミンを摂取することができず、嘔吐した。1971年5月21日、母親は彼のアミゾリンを中断した。5月25日に痙攣を起こして入院し、マイソリンが再開された。彼は特別なハウスでのトイレトレーニングをやめ、ナイアシンアミド1g 1日3回によってより活発になり、身体的にもよくなった。小児科の教授が母親に、金輪際 "くだらない "ビタミンを息子に与えないように、私(A. ホッファー博士)のところへも決して連れて行かないようにと助言した。このことは、常にマイソリンはくだらない、ビタミンは重要だと考えていた彼の小爆発を引き起こした。1971年7月22日、私はピリドキシン100mg 1日3回とDMG 300mg 1日1回を追加した。1971年8月19日、彼は改善した。特別ホームの意見に反して、トイレトレーニングをしていなかったにもかかわらず彼はずっとよい状態になったと母親は気づいた。顔色は普通で、発音も良くなり、数の数え方も覚えた。癇癪を起こすことは増えていた。1972年1月13日、トイレトレーニングを受けた。10月28日までに市内に移り、特別教室へ出席できるようになった。寮母はビタミン剤を信じておらず、母親に相談なく彼のビタミン治療を中止した。小児科医はマイソリンを止めた。1972年6月7日、私はピリドキシンを250mg 1日2回に増やした。彼は改善を続けていたが6月7日に一度痙攣を起こした。 7月に1回、9月にも5回発作があった。それ以上の改善を示さず、トランス状態にあるように見えた。ディランチン(フェニトイン:抗てんかん薬)150mgとフェノバルビタール(抗てんかん薬)20mg 各1日1回を投与された。彼の発話は再び改善し始めたが、まだ多動だったし、まだ平均月2回の発作を起こしていた。以前よりはっきり話すようになった。1973年5月24日、痙攣以外の点では改善が続いた。1973年7月26日、私はナイアシンアミドをイノシトールナイアシン酸1g 1日3回に置換した。1974年1月18日、母親は、彼がピリドキシンを取らなかったときには痙攣が起こっていなかったことに気づいた。彼はより自立し、自分のことは自分でやるようになり、言葉もはっきりしてきた。多動性スコアは1970年12月17日の73→1971年5月21日には49に変化した。改善と評価された。
ひとりごと
なんと、(104)~(107)はY家の4兄弟だったようです。多少のイライラは残っても、評価は1111(4)、全方面での改善がみられています。
(108)は「小児科教授」にあからさまにビタミン治療を反対されたケース。ピリドキシンが痙攣発作を誘発している面はあったようですが、B3はある程度有効だったと思われます。
さて、明日が110ケースの最終回です。はりきって読みたいと思います♪