ここのすラボ2.1

こどもの こころを のびのび すくすく 育てることをめざして試行錯誤中の児童精神科医なおちゅんのブログです。

子どもの注意や行動の障害を治す:確証のための情報確証のための情報(3)症例紹介(症例101・102)

今日もひとり読書会です。

アップロードするのが遅くなってしまいましたが、今週で110ケース読み切れるよう連続アップしていきます!


読んでいるのはこちらの本です。


確証のための情報(3)症例紹介(症例101・102)


・(101)L.W.:1959年4月生まれのL.W.の初診は1971年5月。怠け者で白昼夢を見るのが好きだったので、学校で困難があった。

5年生までは評価Bだったが 6年生になると多動状態と激しく受け身になる状態を交互に繰り返すようになり、ほとんど死んだように見えた。何年にもわたって彼の多動症状は次第に増し、砂糖への強い渇望が生じた母親は、彼の症状、特に頭痛が低血糖パターンに適合していると考え、糖分の過剰摂取をある程度抑制し始め、少し改善がみられた。私はナイアシンアミド1g 1日3回、ピリドキシン250mg 1日1回、アスコルビン酸1g 1日2回を投与し始めた。1ヶ月後、母親はいくらか改善に気づいた。彼は疲れにくくなり、一緒に生活しやすくなった。ナイアシンアミドを4g 1日1回に増やした。1973年7月31日に、彼は9年生に進級したが、注意力のスパンはまだ短く、落ち着きもなく、不機嫌で退屈していた。1971年11月の間に、彼にはこの2ヶ月で顕著な改善があったと学校が報告してきた。ずっとビタミン剤を飲みながら、甘いものを避けていた。同級生との間に問題を抱えており、友達も少なく、あまりに攻撃的だった。ジョン・ホッファーは1000(1)、改善なしと評価した。多動性スコアは1971年5月16日の97→1971年9月16日の51に変化し、1973年7月31日には83まで再び上昇した。1974年1月14日、母親は彼がナイアシンアミド1g 1日1回とピリドキシン250mg 1日1回しか摂らないだろうと私に言ったが、彼女は息子は好調だと考えていた。学校ではうまくやっており、快活であったが、家では気弱だった。大きな問題はなかった。彼の評価は1111 (4) - 正常であった。


・(102)M.W.:1958年8月生まれのM.W.の初診は1968年5月。彼女は数学に問題があった。2年生を再履修しなければならず、3年生では遅れていた。集中力がなく、心が彷徨い、誰かが話しかけてきても気づかないことがよくあった。性格は2年前から崩壊しており、落ち込んでいた。妹は慢性の統合失調症だった。

ナイアシンアミド1gを1日2回とアスコルビン酸1g 1日2回を投与した。1ヶ月後には、状態ははるかによくなり、被害妄想や恐怖心もなくなっていた。1968年8月30日には正常になり、学校を楽しんでいた。1969年4月7日、以前より落ち着きがなくなり、時折人々から自分が見られていると信じていた。私は寝る前にクロルプロマジン25mgを追加した。1971年4月30日、彼女は順調だった。ナイアシンアミドを1.5gに増やしたが、これで吐き気を起こした。10日間休薬しなければならず、逆戻りした。1971年9月3日、まだ多動で落ち着きがなかった。ナイアシン2g 1日3回に変え、彼女の母親によれば1973年7月24日までには元気になっていた。B平均で8年生を終えた。ジョン・ホッファーは彼女を1110 (3)、 大幅に改善と評価した。1973年9月4日も彼女は元気だった。1974年1月14日、彼女は名誉ある役割に就き、成熟し、より多くの責任を負っていた。彼女は順調なままであった。


ひとりごと

(101)は機能性低血糖もみられたケース。母親の観察眼はさすがですね! 食事制限をしっかり続けたら、ビタミン量を絞っても好調が保てることがよくわかります。

(102)はナイアシンアミドでは嘔気が出て、ナイアシン6g/日で経過を見たケース。先日のケースはアミドの苦みが中止の理由でしたが、こうしてB3は飲めるものを選択すればいいということですね。