改めてのお礼、そして抗えない衝動の話(後編)
残存する原始反射は統合できる!
20000PV突破(改めてありがとうございます❤)の節目の自己開示。
出生時からの左腕の麻痺のために、たくさん原始反射を残したままだったことに気づいたところまで昨日書きました。
でも驚くことに、セミナーで学んだエクササイズ(どれも寝そべったり四つん這いの姿勢だったりでできる簡単な動きばかり)を地道に続けていたら、本当に原始反射が統合されて消失していくんです!
私がセミナーで教わってきたエクササイズは、スウェーデンの精神科医 ハラルド・ブロムベリ先生が考案されたもの。セミナーへ学びに行くのがいちばんだと思いますが、どんなエクササイズか気になる方はこちらの本で見ていただくことができます(ブロムベリ先生の著書・英語です)。
The Rhythmic Movement Method: A Revolutionary Approach to Improved Health and Well-Being
- 作者: MD Harald Blomberg
- 出版社/メーカー: Lulu Publishing Services
- 発売日: 2015/06/18
- メディア: ペーパーバック
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日本語でわかりやすい原始反射の本はこちら。
- 作者: 灰谷孝
- 出版社/メーカー: 花風社
- 発売日: 2016/06/22
- メディア: 単行本
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原始反射が消えても残る苦手さとは
原始反射が消えたからといって、私の悩みの全てが解消したわけではありません。
左腕の運動能力が特段高まるということはないし、全体的に筋力も弱め。
そして、空間認知能力がとても弱いのです。
1年くらい前、KABC-2という心理検査を同僚心理士さんに実施してもらったら、犬(ポチ)を最短距離(等)で移動させる課題の成績がほんっとうにダントツで悪くて。
(ポチ、久しぶり!)
このことについて、こちらの本には「数学推論の中でも幾何や予測は主に右脳で処理」と書かれていたので(第11章)、脊髄交叉を考えれば私の左半身の弱さや使われなさが右脳の発達に影響していても何の不思議もないな…とすごく納得がいきました。
- 作者: Dr.ロバート・メリロ,吉澤公二
- 出版社/メーカー: クロスメディア・パブリッシング(インプレス)
- 発売日: 2019/02/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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身体と脳の発達の関係だけじゃなく
そんなふうに、赤ちゃんのときから身体をきちんと使うことの大切さを身をもって知り、後からでも変化させられることもあるとも実感した自分だからこそ、今発信できる・発信しなければならない情報がある、という信念を持つに至りました。
そして、その瞬間の標準医学というものの限界も身をもって体験しているから、標準医療に満足していられないという思いもずっと抱えています。
私に麻痺を残した分娩方法は、きっと当時としては標準的には正しいとされた判断。
完全な回復には至らなかった二度の手術だって、当時としては最先端の術式だったはず。
執刀してくださった某大学病院の整形外科の教授は上肢の専門家として有名な方だった(と後で知った)し、研修医の先生にも毎日ベッドサイドでとてもよくしていただいたし、当時の先生方を恨む気持ちなんてまったくなく、とても感謝しています。
でも、でも。
もしかしたら、当時もっと自分の身体に何かできることがあったかもしれないな、と今になって思うのです。
リハビリやトレーニングの方法、栄養の摂り方、ほかにもいろいろ。
手術から10数年後、私が医学部に合格してすぐのこと。母校となる大学病院の整形外科の教授に「今春入学します。この腕で将来医師としてやっていけますか?」と一度受診したことがありました。
「外科医にならなければ多分大丈夫。まぁ、今ならもっとよくなる手術もあるけどね」
と言われたのも忘れられない記憶です。
そして、ヒトの中枢神経の少なくともある部位では日常的に細胞新生が起きていると論文発表されたのは、医学部在学中のことでした。
それまでは「ヒトの中枢神経細胞は一度死んだら二度と再生しない」と教科書にも書かれていたんです。
発表時期が在学中だったことは後で知ったわけですが、医学部で正しいと習っていたことがリアルタイムに覆されることとなった経験もなかなか貴重でした。
自分の分娩や手術をやり直すことはできないけれど、今の状態を改善できるかもしれないことならどんどん情報を取り入れて試してみたい。
もちろん非侵襲的で、法外な価格でなくて、自己責任で安全に挑戦できる範囲でのこと。
そして私と同じように、今の時点での医療の限界を感じて、新しい知見を積極的に試してみたい、もっといい状態を目指してみたいと思う患者さんがいらっしゃるなら、無理なく安全にチャレンジできるように応援したいと思っています。
もちろん、誰にでもチャレンジを強要するつもりなんてさらさらありません。
でも、新しい知識を聞きかじったら「こんな説も出てきてますよ」とお伝えしたいし、同じ思いで挑戦する人がいらっしゃればお互いの経験をシェアし合いたいし、うまくいったら喜び合いたいじゃないですか。
そんなわけで、医師らしからぬ「エビデンス検討中」な発信をこれからも続けていく予定です。
引き続き、ここのすラボ2.1をどうぞよろしくお願いします♪
ここまで2日にわたる長文にお付き合いくださりありがとうございました。
改めてのお礼、そして抗えない衝動の話(前編)
20000PV、ありがとうございます💕
昨日の午前中に、このブログ「ここのすラボ」移転後PVが20000を超えました(昨晩のスクショです)。
いつも読んでくださっているみなさま、ありがとうございます!!
10000PVに達した先月も自己開示的な記事を書かせていただいたので、今回もこれまで明かしていなかった自分のことを書いてみようと思います。
身体アプローチに惹かれた必然性
たぶん私は同業者の中ではかなり異端です。
だって「身体にはたらきかけて発達障害を改善していこう」なんて言ってる同業者には(滅多に)お目にかからないですから…。
保育士さんやOTさん、PTさん、STさんには身体からのアプローチに熱心な方をちょくちょくお見掛けして、その度に嬉しくなるのですが。
さて、私自身のこと。
胎内ではおそらく正常に発達していましたが、骨盤位分娩、いわゆる逆子で生まれました。
今なら帝王切開するのでしょうが、当時はそういう判断にはならなかったようで。その結果、分娩過程で神経損傷を受け、左腕に麻痺を持った状態で生まれたのです。
小学校に上がるまでに二度の整形外科的手術も受け、おかげさまで日常生活にはそれほど支障がない状態にはなっています。
というより、今よりいい状態を経験したことがないので「よりよい状態」なんて想像もつかず、ほどほどに満足しています。でも、右腕と同じように左腕が使えているかと聞かれたら、答えは間違いなくNOです。
偶然、身体アプローチと出会う
身体アプローチとの出会いは本当に偶然で、書店を徘徊していて出会った2冊の本に導かれるように「身体を動かすことが脳に刺激を与える」という考えがごく当たり前に頭に染み込んできました。
脳を鍛えるには運動しかない! 最新科学でわかった脳細胞の増やし方
- 作者: ジョン J.レイティ,エリックヘイガーマン,John J. Ratey,Eric Hagerman,野中香方子
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2009/03/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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- 作者: ポール・デニッソン,石丸賢一
- 出版社/メーカー: 市民出版社
- 発売日: 2010/10/10
- メディア: 新書
- クリック: 2回
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「ブレインジムと私」のことは、以前記事にしたこともありましたね…。
こういった書籍をジャケ買いならぬ背表紙買いするあたり、潜在的に運動と脳の関係が心のどこかに引っかかっていたのかも知れません。
少なくとも本を購入した時点では誰かに助言や指示をいただいたわけではありませんでした。
身体アプローチに対してさまざまなワードにアンテナを張りながら過ごすうちに、書籍からではなく対面で教えを乞うボディワークのセミナーにも参加するようになりました。
そこでまず「左足にバビンスキー反射が残っている」と指摘されて愕然とするのですが(その時の記事はこちら⤵︎ ︎)、
後日、バビンスキー反射どころじゃなくありとあらゆる原始反射の未統合が発見されることとなりました。
左腕の運動麻痺のために、ずり這いや四つん這いなど赤ちゃんが自然にたっぷりする(予定の)動きを全然やりきらないまま大人になったのだとようやく気づくことができたんです。
それと同時に、大人になってからでも改善していける部分もあるらしいとも実感できたのでした。
…さすがに長くなってきたので、明日に続きます。こちらからどうぞ⤵︎ ︎
子どもの注意や行動の障害を治す:治療(2) 栄養サプリメント
火曜日恒例、ひとり読書会。
今日からビタミン等サプリメントの話。
まずは総論から…。
引き続き、こちらの本を読んでいきます。
- 作者: Abram Hoffer
- 出版社/メーカー: CCNM Press
- 発売日: 2004/03/31
- メディア: Kindle版
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薬としての栄養
・マクリーンによると食べものやビタミンが薬として用いられてきた歴史は5つの時代に分けられるという。
- 第1期:紀元前1500年から1880年まで。ある病気を治すために経験的に食べものが使われていた。
- 第2期:1880年から1900年まで。動物で欠乏病モデルが作られ,ビタミン仮説が発展した。
- 第3期:1900年から1930年,複数のビタミンが発見・分離され,化学構造がわかり,合成もできるようになった。
- 第4期:1930年頃に人体の生化学的機能が研究が進んだころからで,食べものの必要要件が広まり始め,ビタミンの商用生産が盛んになった。
- 第5期:1955年から現在まで。欠乏症の予防を超え,治療的な健康作用が認識されたことが特徴。
・第2~4期(1880-1955)は,ビタミン投与は脚気やペラグラの予防に限定されていた。ビタミンは触媒であり,何度でも使われるので少量投与で十分と考えられた。根拠なく大量投与すると患者に害を与えると医師免許を剥奪された。今もアスコルビン酸(ビタミンC)静注を禁止する病院もある。こうしたルールがビタミンを予防的使用に押しとどめていて,今も多くの食事療法家や栄養士,医師は必死に固執している。
・古いパラダイムからRDA(一日推奨量)が定められたが,これは栄養欠乏状態からは程遠い健康な若い男性を基準に決められたものである。この設定は機能していない,現代の医学に即していないなどの声が複数の著名な学者からもあがっている。
・1930年代半ば、少量のビタミンB3はペラグラを予防はするが慢性ペラグラは治せないことがわかった。予防には1日20mg、慢性ペラグラの治療には600mg必要。食事があまりにもひどくビタミンB3欠乏状態になっていると、さらにたくさんの投与が必要になる。ビタミンの予防的パラダイムでは、この治療的ビタミンの法則は認められていないのだ。そのためにビタミンの治療的研究は30年ほど遅れてしまった。
・われわれは1955年に大量のビタミンの治療的使用について発表した。ビタミンの治療的パラダイムは以下の4つの観察所見に基づいている。
- ひとりひとり必要とする栄養は異なる
- 適正なビタミン量は、欠乏症予防の少量から欠乏状態の治療の大量まで幅広い
- 適正な必要量を左右する因子は、年齢・性別・身体的ストレス・授乳期・急性/慢性疾患・生体外物質摂取などであり、万人にとって最適な「適正1日使用量」があるわけではない
- ビタミンは生涯にわたって安心して摂取できる
・ビタミンの治療的パラダイムにより、誰もが適正な健康を目指すためにビタミンを使える時代が幕を開けた。薬物療法と違って医師等の管理も必要とせず、誰もが市販薬以上に安全に試し、自己治療が行える。薬の投与量は少なすぎても多すぎより安全だが、ビタミンは適正な健康のためには少なすぎるよりちょっと多めのほうがよい。必要量より多ければ排泄されるだけである。1日3gのナイアシンでは効果のなかった統合失調症患者が6gにしたら速やかに改善したのを見たことがある。ミネラルやアミノ酸にはこの「足りないより多いほうがいい」法則は当てはまらないが、それでも許容量のレンジは広い。
ひとりごと
RDAは健康な若い男性を基準に定められたもの、と言ってもらえてほっとした気持ちなのは、やっぱりいわゆるお薬の「用量・用法を守って正しく服用」みたいな固定観念があたまのどこかにこびりついていたからだなと感じました。実践ではとっくにメガビタミン摂ってるのに。
ビタミンが使われてきた歴史を5期に分けて振り返ることができたのも、なるほどと思えました。過去からの流れを知っておくことは大事ですね…。
大学に合格しても浮かれていられない理由とは?
ふたりめのサクラサク…
診察室で大学合格の知らせを聞くのは今シーズン2人目でした。
高校生活が大変だったのを知っているだけに、よくぞ困難な状況のなかで自分の目標を丁寧に絞り込んでここまでがんばってきたなぁ…と目を細めてしまいます。
まぁ、大変じゃない受験生なんていないんでしょうけどね…。
推薦入学しても浮かれない堅実さ
この時期に大学進学が決まると、入学まで丸4ヶ月以上の余裕ができることになります。
晴れてのんびり過ごすつもりかと思いきや、とても堅実な計画を聞かせてくれました。
「推薦で受験したぶん、通常の受験を目指してる人とは違って、ほとんど真剣に学ばずに済ませてしまってきた科目もある。入学後に困るといけないから、今のうちに少しでも追いつけたら…」と。
…ああ、合格したというのに全然浮ついてないんだね。
そのストイックな姿勢はとてもカッコイイと思う。
と同時に、入学後に危機感を抱きたくなる気持ちもとてもよくわかるのです。
推薦入試を選んだ必然性
これまで何人もあえて私学の推薦入試を狙って大学受験するお子さん達にお会いしてきました。
「受験のプレッシャーに長く耐えるのは無理! できるだけ早く合格を決めたい」というタイプのお子さんもいましたが、多くのケースでは「少しでも入試科目を減らしたい」というのが推薦入試での合格を目指す理由。
つまり、もともと学習どこかに苦手意識や自信のなさを抱えているお子さんが多いんです。
それでも大学で学びたいことがあって入学を目指す人達にとって、いろいろな受験の方法で広く門戸を開けてくれている大学があるのはありがたいこと。
なのですが、入学した後「講義を聞いても分からない」「周りのレベルについていけない」と悩む学生さん達がいるのも確か。
少数科目の受験での入学を認めてくれた以上、入学してから学習に困難を抱える学生には大学で手厚くフォローしていただきたいなぁ…とつい期待してしまいます。もちろん大学の方でもいろいろ配慮してくださっているところもあるようです。
そして、目の前で学習に苦手意識があるお子さんが大学に入るのを見守らせていただいてる私としては、何か彼らの力になれることはないだろうかと模索せずにはいられません。
医療の枠は超えていることかもしれないけれど、自分が提供できる技をもっともっと増やしたいとメラメラしているところです。
「気にならない子」こそしっかり気にかけるコツは?
クラスの中の、目立たない子
最近SNS経由で知ったこの本、タイトルがとても気になったので読んでみました。
学級崩壊の原因はそこだった! 「気にならない子」を気にとめる、見落とさない指導法!
- 作者: 城ヶ?滋雄
- 出版社/メーカー: 学陽書房
- 発売日: 2019/10/30
- メディア: 単行本
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学校の先生のクラス運営に役立つ本ですが、門外漢の私にもとても興味深い1冊でした。
「気になる子」が大多数だけど…
私が診察室でお会いする子どもたちの大半はおそらくクラスの中の「気になる子」のほう。
担任の先生に奨められて受診されるお子さんも少なくないですし。
あくまで受診は来てくださったお子さんのためのものなので、ご本人の困りごとがあれば応援しますが、先生にとっての「気になる子」を「気にならない子」にするためにお薬を使うようなことはしない主義。
それでも、その「気になる子」自身の困りごとにひとつひとつ対応を考えたり実行したりしていくと、先生の気になり度合いも低下していくようではあります。
以前、「気になる子」として受診されたお子さんのお話を聞いていたら、それまではクラスの中で行動が目立つタイプではなかったのに、急激に問題行動が増えていたというケースで。
実はクラスに「もっと気になる子たち」がいたために、その子自身も「気になる子」にならないと存在を認めてもらえないと感じていたんだな…とあとから気づいたのでした。
クラスのメンバーが変わっても、担任の先生が変わっても、そのたびにクラスの雰囲気は大きく変化するもの。
ひとりひとりがきちんと大事にされるクラスでは、きっと担任の先生が「気にならない子」にもしっかり目を配り、気にかけてくださっているってことなんだろうな…。
自分を出せない子にも、当たり前のことが当たり前にできている子にも注目する
この本の中には、気にならないくらいきちんとできているけど気にしてあげた方がいいと思われる子どものサインや、学校生活全般あるいは授業中に「気にならない子」の適切な言動が具体的にたくさん登場します。
それぞれのケースでどんなふうに子どもと関わるか、どんな声掛けをするかという例もあげてあります。
低学年と高学年、それぞれへの関わり方が書いてある細やかさもありがたい♪
子どもが一見うまくやれているようでもこんなことを心配してあげた方がいいんだな、こういう好ましい行動は目立たないけど取り上げてあげたらいいんだな、ととても具体的にイメージできます。
「気になる子」に目を奪われる前に、多くの先生方にこの本に登場するような「気にならない子」の行動に注目していただけたら嬉しいなぁと思います。
私も「気にならない子」の苦悩をもっと丁寧に拾いあげられるようになりたいと気持ちを引き締めさせてもらいました。
やる気のある子をガッカリさせない決断にあっぱれ!
広島県教育委員会にまたもや先進的な動きが!
またまた,広島県教育委員会からステキなニュースが飛び出しました。
小児がんの中でも特に白血病などに罹ると,化学療法や骨髄移植で治療期間が長くなったり,免疫系が十分に働かなくなるので外出はおろか院内でも自由に動ける範囲や面会できる人や時間が限られたり,どうしても自由がきかない時間が長期化してしまうもの。
それを「教員が付き添っていないから出席扱いにできない」で斬り捨てられてしまったら,いくら意欲があっても,せっかく遠隔授業を聴講していても,留年せざるを得ない状況に追い込まれてしまうこともあるはず。
それを,教員不在でも出席扱いにします,という決断したのが太っ腹の広島県教委。
不登校だって,自宅学習で出席扱い推奨ですしね…
不登校児が学校復帰を目指していようがいまいが,自宅や民間機関で学習を行っていれば積極的に出席扱いにしましょう,と先月末通知を出したのは文部科学省。
それなら,病気で入院中・療養中の生徒がオンラインの授業を聴講するのを出席にカウントするのはむしろ当然の流れでは? とさえ思えます。
教員の付き添いの有無なんて問題にならないはず。
不登校のお子さんだって,教員の付き添いなしにICT授業を受けても出席扱いにしてもらえる方向に時代は動いているのですから。
大事なことは,学ぶ意欲があること,学んでいること。
たぶん私の中で「学ぶこと」への関心が高いせいだと思うのですが,ついついこういう話題には食いついてしまいます。
体調を崩して命の危険まで感じられるようなときにも,未来に希望を持って「学べるものなら学んでおきたい!」と思っている子どもたちの意欲をちょっとでも積極的に受け止めて拾い上げる体制が整ったらどんなにいいだろう,と思うのです。
もちろん,本当は身体も心もしんどいはずの子どもたち。
勉強より断然健康が優先だし,周囲の大人から入院中の子どもたちに学習を強いるためのルールになってしまうことには猛反対ですが,自分から学びたいと思える子・実際に遠隔授業に取り組んでいる子には喜んでもらえるような決定であってくれたらと願っています。
診察室で学んだ、子どもを自立に導く子育てのコツとは?
お母さんと子育てを振り返る
最近、診察室に来てくださっているお母さんがこれまでの子育てを振り返って話をしてくださることが増えています。
長いひとは今の職場で10年ちょっとお会いしているので、初めて出会ったとき不登校だったりひきこもり状態だったりしたお子さんが、今は企業などでフルタイム就労されているといったケースも多くて。
途中でいろいろ大変なこともありましたよねぇ…とお子さんや私も一緒に思い出せるエピソードもあれば、受診されるずっと前のエピソードを「今だから笑って言えますけど…」とお母さんが初出ししてくださることもあります。
今は発達障害に関する情報が増えたけれど…
「小さい頃は本当に毎日が事件の連続で大変でした」と語られる、学校やご近所でのトラブルのあれやこれや。
そして、「小児科医に自閉症と言われて、でも障害だとわかったところでよくなる手立てもわからず、周りに相談できる人もいなくて。先の見通しが立たず、途方に暮れていました」という件まで、だいたいお母さんたちはほぼ同じことをおっしゃいます。
20年くらい前のことですから、それもそうかもしれませんね。今みたいに書籍やテレビやインターネットに発達障害に関する情報が溢れている時代ではなかったでしょうから。
不登校やひきこもり状態など、少し社会参加から遠ざかる時期もありながら、また安心できる範囲から人との関わりを再開して、たくさんの人やできごととの出会いを経て、職場で与えられた役割をきちんと果たせる大人になった…、
この道のりを改めて振り返ってみると、どのご家庭も親子で一緒に頑張ってこられたんだな…と、その時間の重みを感じずにはいられません。
どのご家庭にも共通している大事なこと
そんな振り返りの中で私がいちばん注目してしまうのは、お子さんに接するお母さんの姿勢。
きっとお母さんから見たらもどかしい、思ったようには育ってくれないお子さん達だったと思うのですが、お母さん達は期待もかけ過ぎず、投げ出しもせず、お子さんのそのままの状態を受け止めて向き合っていらっしゃったのだな…というのが伝わってくるのです。
うまく言えないのですが「ありのままの受容」でも「ありのままの否定」でもない姿勢。
お子さんのことを「今はこういう状態」と客観的に観察し、それは受け入れながらも、「今まだ不十分なところはどこか」「この子にとって次の課題は何か」も冷静に見極め、本人の状態や意欲に合わせて徐々に課題を克服するのを見守る感じ、といえば伝わるでしょうか。
お母さんの根気と忍耐が問われる関わり方。
でも、お母さん達は参考にできる前例や情報のない中で本能的にこんなふうにお子さんと関わってこられたんだと思います。
きっとどんな子育てにも役立つ親の心構えのはず。
果たして自分はこういう子育てができているだろうか…。
改めて反省してしまう今日この頃です。